木村幹の韓国近現代史『写真コラム』


韓国は如何に現代史を「祀った」か
− その3・居昌事件追慕公園−


このページの解説

 今日ではよく知られているように、韓国軍や北朝鮮軍、更にはアメリカ軍や中国軍が入り乱れて行われた朝鮮戦争では、様々な虐殺事件が引き起こされました。
 中でも居昌事件は、韓国軍は行った良民虐殺事件として、よく知られています。
 ここでは、その居昌事件と、それを「追慕」する為に設置された居昌事件追慕公園について紹介します

撮影・2009年1月

 居昌事件は朝鮮戦争中の1951年2月から3月にかけて、慶尚南道居昌郡神院面に勃発した、韓国軍による良民虐殺事件である。
 当時の韓国軍は中国義勇軍の朝鮮戦争参戦により、ソウルを失い後方への後退を続けていた。前線の更に後方では、北朝鮮軍ゲリラの活動が活発になり、これを鎮圧する過程で、ゲリラと誤認された良民が虐殺された。
 写真はその犠牲者を祭る霊位。
 虐殺は2月10日に136名、続く11日には527名に及んだ。写真はその位牌。
 居昌における良民虐殺は、李承晩政権下では、正当なゲリラ掃討事件として処理れた。しかし、この評価は、同政権崩壊後の1960年に入り覆されることとなる。
 だがこのような評価は、直ちに事件に対する全面的な見直しへとは繋がらなかった。韓国軍は依然として、従前の主張を維持し続け、長い間、その妥当性を巡る議論が展開された。
 写真は事件の様子を再現した石像。
 事件に対する評価が最終的に確定したのは民主化以後のことである。1994年、時の金泳三政権はこの事件を軍による不当な虐殺事件であると認定し、事件のあった場所にほど近い場に、「居昌事件追慕公園」を設立した。今日のその様子を見る限り、この公園が、ソウル特別市にある国立4.19墓地をモデルとしていることは明らかである。
 写真は公園に並ぶ、犠牲者の墓碑。
 墓碑に犠牲者の名と並んで左横に生没年が記されている。
 公園には、事件を記録する記念館も併置されている。
 しかしながら、今日、この慶尚南道の山奥にある、交通不便な墓地や公園を訪れる人は決して多くない。事件とその犠牲者は、人々の記憶の中に埋もれつつあるように見える。

 

 

木村幹の韓国近現代史『写真コラム』

近現代朝鮮/韓国史の目撃者たち:目次

韓国は如何に現代史を「祀った」か
− その1・顕忠院(国立墓地)−

韓国は如何に現代史を「祀った」か
− その2・北岳山「先烈墓域」−

韓国は如何に現代史を「祀った」か
− その3・居昌事件追慕公園−

朝鮮総督府・米軍政庁・(大韓民国)国会議事堂・中央庁・国立中央博物館
− 数々の顔を持った今は無き建築物−

1992年第14代大統領選挙写真集
− 大演説集会のある風景 −

山の上に「街」があった頃
− 1990年前後の韓国を振り返る −

木浦の旧日本家屋
− 「日本人の住む街」でもあった港町 −


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