木村幹の韓国近現代史「写真コラム」


韓国は如何に現代史を「祀った」か
− その2・北岳山「先烈墓域」−


このページの解説

旧王宮のあるソウルの旧市街地から東北、北岳山の東北には、国立4.19墓地がおかれていることはよく知られています。また、この国立4.19墓地の背後には、1950年代から1960年代までに活躍した野党系政治家の墓所が並んでいます。このページではこの地域にある、主な墓所について写真にて紹介します。
(撮影・2005年1月)
北岳山国立公園入り口に掲げられた、墓所についての地図。

4.19革命史跡碑。この地域に4.19学生革命について石碑や国立墓地が置かれることになったのは、1956年の民主党大統領候補であった申翼煕の墓所に、1960年3月15日の「不正選挙」を糾弾するビラが印刷、配布されたことによるのだという。下は1963年に建てられた「自由平和守護の像」。
申翼煕の墓所。1956年の大統領選挙に立候補した彼は、選挙遊説中の列車中で急逝した。社交的な人物であった彼は、生前、全国各地の知人宅に留まることが多く、「家を持たない国会議長」と呼ばれたこともある。この隣には、申翼煕の政治的地盤を継いだ政治家、申河均の墓もある。

こちらは一転して、ハーグ密咨事件、即ち、1907年、時の大韓帝国皇帝・高宗の密命を帯びて、ハーグの国際平和会議に渡り、現地にして憤死した、李儁の墓。上の写真は、1977年、ハーグに残されていた墓をこの土地に移してきたものである。その右手に下の写真で見られるような大きな新しい墓標が置かれている。あまり注目されないが、1970年代、維新政権期の朴正煕政権は、このような「史跡」等の整備を活発に行った。
初代副統領・李始栄の墓所。彼は朝鮮戦争中の1953年に死去しているから。この地域に置かれている野党系政治家の墓所の中では、彼のものが最も古い計算になる。
李始栄の墓所のすぐ下には、「光復軍先烈の墓」がある。建てられたのは1967年。この地域にある独立運動に関る墓所や記念碑は、この地域が「聖地化」された、1960年代以後に建てられたものである。
徐相日墓所。日本統治期には大邱における東亜日報販売の責任者であった徐相日は、解放後は、韓国民主党幹部として活躍し、憲法制定等において主導的役割を果たしている。1950年代末には一転して革新陣営に転じ、その重鎮として活躍するなど、その業績は、紆余曲折に満ちている。
金度演墓所。初代財務部長官であった彼は、また、自らの生涯を韓国民主党から民主党「旧派」につながる「正統保守野党」の系譜で活躍した人物である。4.19学生革命後、1960年には、国会内における投票で僅か3票で国務総理を逃した(その職は張勉にわたることとなる)彼は、エネルギッシュな活動で知られている。
国立4.19墓地の一場面。手前に見えるのは、4.19学生革命に参加した人々の墓。当時の犠牲者だけではなく、これに参加した多くの人々の墓が設けられている。
同じく国立4.19墓地内に設けられた祭壇。犠牲者たちの顔写真が並んでいるのが見える。「学生革命」という名称から、大学生による運動を想像しがちだが、小学生をも含む幅広い「学生」がこれに参加していたことが、これらの写真からもよくわかる。

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木村幹の韓国近現代史『写真コラム』

近現代朝鮮/韓国史の目撃者たち:目次

韓国は如何に現代史を「祀った」か
− その1・顕忠院(国立墓地)−

韓国は如何に現代史を「祀った」か
− その2・北岳山「先烈墓域」−

韓国は如何に現代史を「祀った」か
− その3・居昌事件追慕公園−

朝鮮総督府・米軍政庁・(大韓民国)国会議事堂・中央庁・国立中央博物館
− 数々の顔を持った今は無き建築物−

1992年第14代大統領選挙写真集
− 大演説集会のある風景 −

山の上に「街」があった頃
− 1990年前後の韓国を振り返る −

木浦の旧日本家屋
− 「日本人の住む街」でもあった港町 −


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