木村幹の韓国近現代史「写真コラム」


朝鮮総督府・米軍政庁・(大韓民国)国会議事堂・中央庁・国立中央博物館
− 数々の顔を持った今は無き建築物−
(撮影・1993年1月)


このページの解説

 1926年に新築された朝鮮総督府は、1945年における植民地支配からの解放後は、米軍政府庁舎として使用された。大韓民国成立直後には、国会議事堂として使われたこの建物は、国会議事堂が旧京城府民館(現ソウル特別市議会)に移った後は、中央庁という名称を与えられ、大韓民国政府の中核的建物として用いられた。その後、一時期を国立中央博物館として用いられたこの建物は、1995年以後、時の金泳三政権の「過去清算」事業の一環として順次解体された。「朝鮮総督府」のそれとして知られるこの建物は、実は、50年以上もの間、大韓民国政府において最も重要な建物の一つであり続けたのである。

 このページでは、1993年1月に撮影した写真により、今は無きこの建物について、紹介します。
建物は、光化門のすぐ背後、景福宮の正殿である勤政殿へと続く、勤政門をふさぐ形で立ちふさがっていた。この建物の建築の為に、光化門は一旦は解体されたものの、柳宗悦をはじめとする人々の反対により、元の位置より大きく東に場所を移して、ほぼ旧と同じ大きさで再建された。現在の建物は、日本統治期の建物が朝鮮戦争に消失した後、現在の位置に再建されたものである。


 1948年8月15日、大韓民国建国式典が開かれたのも、この建物の前において、であった。当時は、光化門はこの建物の前面にはなく、代わりに大きな広場を取ることのできる空間があった。なお、この写真にも見えるドーム頂上にある尖塔は、現在、独立記念館(天安市)に保存されている。








この建物の最大の特徴は、4階まで突き抜ける巨大な吹き抜けであった。因みに、大韓民国の最初の国会が開かれたのも、この吹き抜けにおいてであった。なお、この写真の内装は1992年のものであり、日本統治期や解放直後のものと同じではない。

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木村幹の韓国近現代史『写真コラム』

近現代朝鮮/韓国史の目撃者たち:目次

韓国は如何に現代史を「祀った」か
− その1・顕忠院(国立墓地)−

韓国は如何に現代史を「祀った」か?
− その2・北岳山「先烈墓域」−


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