木村幹の韓国近現代史「写真コラム」

近現代朝鮮/韓国史の目撃者たち
高敞・群山編
 (撮影2001年8月)

仁村生家(金祺中・金憬中旧宅)

 全羅北道高敞郡富安面仁村里。日本統治下における、朝鮮半島最大の地主の家は、この全州や光州から遠く離れた、全羅北道の一角にあった。膨大な富を有する彼等は、やがてこの道を通って、ソウルへと進出することとなる。

 蔚山金氏の本貫を有するこの一族は、日本統治時代には、長男・金祺中と次男・金憬中の二つの中心を有していた。写真は、地方都市の書院よりも遥かに巨大なこの邸宅の中で、金憬中が自らの居宅とした建物。金憬中は、後の東亜日報社主、大韓民国副統領・金性洙と、京城紡織会長、大韓紡績協会会長・金秊洙の実父である。

 金憬中の長男として生まれた金性洙は、間もなく、この一族の宗家である金祺中の養子となり、大邸宅の本邱である金祺中の家に入ることとなる。写真は金性洙の住んだ建物。金性洙と金秊洙、二人は政治と経済を微妙に分担し、また対立しながら、急速に社会的地位を高めていくこととなる。

全奉準生家

 1894年、全羅道全域を舞台に行われた、所謂「甲午農民戦争」の主たる指導者、全奉準の生家は、金性洙のそれから僅か5Kmほどしか離れていないところにあった。運動の矛先は、金祺中・金憬中一族にも向けられ、この時、彼等は農民側に一定の支援をすることを余儀なくされている。

群山港

 日本統治下における群山は、全羅南道の木浦と並び、全羅道一体で生産された米穀の、内地への移出港として栄えたところである。金性洙らの一族は、正に、この港を通じて、日本と結ばれていた。

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木村幹の韓国近現代史『写真コラム』

近現代朝鮮/韓国史の目撃者たち:目次

韓国は如何に現代史を「祀った」か
- その1・顕忠院(国立墓地)-

韓国は如何に現代史を「祀った」か?
- その2・北岳山「先烈墓域」-

朝鮮総督府・米軍政庁・(大韓民国)国会議事堂・中央庁・国立中央博物館
- 数々の顔を持った今は無き建築物-

1992年第14代大統領選挙写真集
- 大演説集会のある風景 -

山の上に「街」があった頃
- 1990年前後の韓国を振り返る -

木浦の旧日本家屋
- 「日本人の住む街」でもあった港町 -


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