木村幹の韓国近現代史「写真コラム」


木浦の旧日本家屋
− 「日本人の住む街」でもあった港町 −
(撮影・1996年10月)


このページの解説

木浦や群山といった全羅道の港町は、日本統治期は、朝鮮半島から内地への米の輸出港として賑わった街でした。甞ては、これらの街には数多くの、日本統治期の建築物が残されていました。このページでは、このような木浦の旧日本家屋を写真にて紹介します。



全羅南道に位置する木浦は、日本統治期には、全羅道一帯で取れる米の輸出港として賑わい、多くの日本人が居住した。写真は、日本統治期に神社が置かれていた「儒達山」からの街の景観。
この建物は、甞ての日本領事館。現在は「木浦文化院」として使われている。

甞ての東洋拓殖株式会社木浦支店。

この地域には写真のような、日本式の「お屋敷」がたくさん残されている。日本人富裕層の居住地域であったところである。



こちらは一転して、港に近いところにある建物。

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木村幹の韓国近現代史『写真コラム』

近現代朝鮮/韓国史の目撃者たち:目次

韓国は如何に現代史を「祀った」か
− その1・顕忠院(国立墓地)−

韓国は如何に現代史を「祀った」か
− その2・北岳山「先烈墓域」−

韓国は如何に現代史を「祀った」か
− その3・居昌事件追慕公園−

朝鮮総督府・米軍政庁・(大韓民国)国会議事堂・中央庁・国立中央博物館
− 数々の顔を持った今は無き建築物−

1992年第14代大統領選挙写真集
− 大演説集会のある風景 −

山の上に「街」があった頃
− 1990年前後の韓国を振り返る −

木浦の旧日本家屋
− 「日本人の住む街」でもあった港町 −


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