高宗と「大韓帝国」
−「君権」と「臣権」から見た1895年〜1903年−

神戸大学大学院国際協力研究科 助教授
木村 幹

今回の報告の主眼

1) 朝鮮近代史研究における「空白期」である1895〜1903年期への理解
2) この時期における最大の問題である「大韓帝国」への理解
3) それを見る視点としての、1894〜1895年における一連の政変の影響

T.前史としての朝鮮近代史

朝鮮近代史におけるポイントの整理 − ウェスタンインパクトからの体制変容
1)「近代国際秩序」への対応 − 朝貢国家から主権国家へ(「国の形」を巡って・1)
 ここで考慮すべきものとしての、(a)朝貢国家であることの「メリット」の存在、(b)中華帝国の反対
→ これらを打破する「動機」となりうるものとしての、(a')王朝支配層にとっての「メリット」の存在、(b')日本の支援
2)王権と君権の対立 − 専制君主制か立憲君主制か(「国の形」を巡って・2)
 出発点としての、朝鮮王朝における王権の弱体性 (a)制度的弱体性、(b)家系的弱体性、+理念的な「王家のものとしての国家」 → この「曖昧」な状態にどのような結論を与えるか
3)諸勢力間の権力闘争とその「淘汰」 − ウェスタンインパクトへの対応策を巡る諸勢力の対立
 本報告での視点として、様々なイデオロギー的、性格的差異を有する諸集団を、一旦、「自らの政策実現のために、政権の主導権を争う諸集団」として無色化して、分析する
→ 彼等の闘争と、それによる「淘汰」は、上述の1)、2)にどのような影響を与えたか

U.「大韓帝国」の国際的条件

1. 朝鮮半島における清の影響力消滅 → 中華帝国の関係消滅
2. 日本の失策と、覇権の消滅 − 「内政改革」の過程における、「親日派」形成の失敗
1) 「内政改革」自身の問題、2)大院君派とのミスマッチ、3)正統性を欠如した朴泳孝の暴走
→ 「朴泳孝失脚」から「閔妃殺害」へ → 露館播遷による外交的破綻
3. 独立協会とロシアの影響力減退 − 露館播遷の国内的影響
4. 「国際的フリーハンドの7年」の出現 → 他国と対等な主権国家、「大韓帝国」の出現

V.国内政治の淘汰と甲午・乙未事件

1. 前提としての1880年代末期の安定
1) 驪興閔氏による政治的覇権の形成、2)「固定化した老臣(時原任大臣と老テクノクラート≒所謂「穏健開化派」)」の存在とそれを支える王朝制度、3)高宗と驪興閔氏の親近
2. 大院君派の登場 − 日本による政変・1
1) 驪興閔氏の実質的追放、2)無力・弱体な大院君派の登用、3)大院君派の挑戦と敗退
3. 朴泳孝の起用 − 日本による政変・2
1) 大院君派の追放、2)制度改変による旧時原任大臣達の実質的追放+諫官廃止による「世論」追放、3)「老テクノクラート」達の覇権の出現、4)朴泳孝の起用と「老テクノクラート」との対立
4. 朴泳孝追放 − 王宮の政治的出動
1) 朴泳孝・徐光範による物理的強制力掌握、2)高宗・閔妃の警戒と、王宮の主導権発動による朴泳孝追放
5. 閔妃暗殺 − 日本による政変・3
1) 王宮と「老テクノクラート」の対立、2)日本の巻き返しとしての閔妃暗殺、3)高宗の孤立・無力化と、日本+「老テクノクラート」の覇権成立

W.高宗による「孤独な覇権」の成立

1.露館播遷 − 孤立化した高宗による政治的冒険
1)高宗主導による露館播遷、2)「老テクノクラート」の政治的壊滅、3)「一名両班」政権の登場、4)国王による王権強化の試み(宮中財政建て直し、儀式面における旧暦回帰)
2.国王還宮 − 高宗による覇権の成立
1)露館における高宗の孤立、2)臣下との対立、3)独立協会の登場、4)高宗の還宮と軍事掌握
3.独立協会事件 − 異なる方面からの挑戦の克服
1) 光武改元と皇帝即位、2)官民共同会と、独立協会の廃止、3)中枢院とその形骸化、4)近衛兵増強としての軍制改革(侍衛隊、親衛隊、武官学校)

むすびにかえて

 1900〜1903年における「無力な」政治的安定の再出現
1) 国際的環境 − 日露(+英仏)の間での勢力均衡 CF.「仏館播遷」計画
2) 国内的環境 − 臣権の敗退の確定 「孤立し、浮き上がった王権」による政治的覇権
→ 誰も脅かしえないが、何もできない 「露館播遷型リーダーシップ」


「大韓帝国」主要年表

1894. 6. 25. 設軍国機務衙門
1894. 6. 28. 改正議政府以下各衙門官制
同日・軍国機務処議案 「開国紀年」他
1894. 7. 12. 命令頒布式 「勅令」「勅任」
1894. 8. 4. 「大君主陛下」使用
1894. 11. 20. 開国紀年刊行
1894. 11. 21. 「勅令」新式(公文式)制定
同日・保護清商規則 ★「朕」字使用
1894. 12. 11. 詣宗廟永寧殿展謁
同日・洪範14条
1894. 12. 13. 詣太社誓告
同日・下綸音中外臣民
1894. 12. 16. 君臣相見礼式改定
1894. 12. 17. 王室尊称新式 「大君主陛下」
1895. 1. 5. 漢字・ハングル混じり文体使用開始
同日・内務衙門令 ★臣民への「独立」のイデオロギー提示
  「天命は太祖に降りたが、中間に清の干渉を受け、国体を傷つけられてきた」
1895. 2.2. 詔諭臣民教育之綱領
1895. 3. 10. 内務衙門訓示諸般條例於各道
1895. 閏5. 17. 詔曰
1895. 閏5. 20. 命建築円丘
1895. 7. 16. 開国紀元節
1895. 8. 20. 明成皇后殺害
1895. 8. 22. 廃王后閔氏為庶人
1895. 8. 23. 王太子上訴譲位
同日・廃庶人閔氏特賜嬪号
1895. 9. 9. 詔改正朔用太陽暦
1895. 10. 20. 閔氏王号復位
1895. 10. 15. 王号閔氏昇架頒布
同日・嬪殿以泰元殿為之、魂殿以文慶殿為之
1895. 11. 3. 万寿聖節及各殿宮誕辰以陽暦頒布
1895. 11. 15. 下詔断髪
同日・年号以建陽議定
同日・学部大臣李道宰辞職兼疏略 ★断髪と建元を同レベルで捕らえる
1896. 1. 7. 特進官金炳始疏略
1896. 1. 11. 詔諭改正朔建年号易服断髪
1896. 2. 11. 移御于露公館、王太子随行
同日・詔曰、八月之変、云々 ★高宗による露館播遷の理由表明
1896. 3. 29. 許京仁鉄道施設権于美国人 ★以後、類似の事例相次ぐ
1896. 4. 1. 詔諭在廷庶人 ★国際協調の必要声明
1896. 4. 17. 許雲山金鉱採掘権于米国人
1896. 4. 22. 許露国人慶源鍾城砂金採掘権
1896. 4. 23. 召見中枢院議長鄭範朝 ★鄭範朝、露館からの移御を建議
→ 高宗、「中外人心、則未知裏許、易致幻惑也」
1895. 5. 16. 第一回日露協商
両代表は朝鮮国王に還宮を忠告すること
両代表は朝鮮国王をして温和な人物を閣臣に任命せしめ、寛仁な態度で臣民に対することを勧告すること
1895. 6 9. 第二回日露協商
両国政府は朝鮮の財政に関して忠告し、合意に基づき援助を与えること
朝鮮をして徐々に秩序維持に十分な軍隊と警察を創設し、またこれを維持させること
1896. 7. 23. 太廟殿宮各陵園祭享及大中小祀、並用旧暦
1896. 8. 21. 各殿宮誕辰、復以陰暦施行
1896. 8. 29. 服制儀注改正
1896. 9. 24. 内閣還称議政府
1896. 9. 28. 慶雲宮成
1896. 11. 21. 独立協会籾建独立
1897. 1. 6. 大行王后溢号文成、陵号洪陵、殿号景孝、議定
1897. 2. 20. 還于慶運宮
1897. 3. 2. 大行王后溢号改以明成
1897. 3. 10. 各駅田沓移付軍部
1897. 3. 11. 各陵園位土、以附近駅土中量宜劃付
1897. 5. 15. 頒陸軍服装規則
1897. 6. 14. 各道地方兵増置
1897. 8. 16. 改元光武 ★園丘社稷宗廟永寧殿景慕宮、行建元告由祭
1897. 10. 1. 沈舜沢等率百官庭請、進称皇帝
1897. 10. 12. 即皇帝位于園丘壇、行告天地祭、册王后閔氏為皇后、王太子為皇太子、定有天下之号曰、大韓
1897. 10. 30. 官民共同会、以六条綱領、由政府上奏会
1897. 11. 2. 中枢院官制改正
1897. 11. 4. 詔革罷独立協会及諸会、其時六条陳書可大臣、並免官
1898. 8. 17. 大韓帝国国制(全9条)
一. 大韓帝国は世界万国に公認された自主独立の帝国である。
二. 大韓帝国の政治は百年伝来の規則に従う、万世不変のものであり、専制政治ではない。
三. 大韓国大皇帝は無限の君権を享有する、公法の言うところの自立政体である。
四. 大韓国臣民が大皇帝の享有する君権を侵害する行為を行った場合、未遂を含め、臣民の道理を失ったものと看做す。
五. 大韓国大皇帝は国内陸海軍を統率、編成し、戒厳解厳を命ずる。
六. 大韓国大皇帝は法律を制定し、頒布と執行を命じ、万国公共の法律に倣い、国内法律を改正する。大赦特赦減刑復権を命じる。公法の所謂自剃律令である。
(以下略)

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