韓国ナショナリズムの前提条件

序章

今日の韓国を見る視点

1.「強い国家」による上からの近代化

2.そのような「上からの改革」を可とする強力なナショナリズム

このような時において指摘される

 日本植民地以前の「ナショナリズム」

しかし、

 そのような「強かったはず」のナショナリズムにも拘らず、朝鮮半島の植民地化の過程は余りにも呆気なく進行

→ その一つの原因としての、当時の「政府」の側の認識の問題

報告においては、

 そのような植民地化以前の韓国の政府側人物のナショナリズムを考える手掛かりとして、外務大臣等々を歴任した、金允植と言う人物の思想に注目

 

第一章 金允植とその時代

第一節 生い立ち

   清風金氏

   孤児

   小山先生

第二節 二人の師 − 兪D煥と朴珪寿

   兪D煥 − 実学志向有力両班子弟との交流

   朴珪壽 − 実学と開化思想の結節点後の開化派の育成

第三節 改革のコスト

   大院君政権 − 鎖国政策による外敵の排除 → その為の軍備強化・王権強化

  → 強い国家の模索 → 資源動員の失敗

 

第二章 領選使行

第一節 開化思想の洗礼

  魏源『海国図志』の流れを汲む西洋の衝撃への対応策

具体的には、

 問題は外よりも内にある − 朝鮮の脅威を前にした「斎居無聊」

1.州や県が無用の丁を徴発していること

2.そのようにして集めた兵丁が弱兵であり、それを支える補給も未整備であること

3.兵力を支える徴税力の不足(背景としての民信喪失)

4.近年水運が機を失い、兵站を専ら陸運に頼っていること

それを解決する為の、

 「然竊謂禦洋之道、貴在兵少而精、器便而利、何者、少則食減、精則不乱、便則益運、利則中、洋夷之所以従四海者、用此道也」 → これを前提とした上での持久戦

ここで注目すべきは、

 朝鮮の西欧の衝撃に対する対応が、独力のみで可能とされていること

第二節 領選使任命

  領選使 − 朝鮮王朝が、西洋式軍事技術を学ぶ為、清へと遣わした使節の総責任者

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 領選使金允植、義州より上疏す。曰く、方今、宇内気運大いに変じ、異域殊類各治兵駛船し、合従連横、兵力を以て相雄し、法律を以て相持し、天下に満し、水陸漸く逼る。此時に當り、閉戸して見ず、高枕して安臥せんと欲するも得べからず。禦の策最もと爲す。事変は無窮にして、財用継ぎ難く、国家爲あらんと欲するも得べからず宜しく克く財用を節し、無益の費を減じ、不の需を捐て專ら当の務を治し、事業を輿隆せしめば国家の幸いなり。

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第三節 李鴻章への書簡

  領選使のもう一つの役割としての対米開国交渉の為の清への助力要請

背景

 李鴻章 − 寧ろ、清国官僚の中では朝鮮への進出に消極的(←→張謇)

→ それを補完する為の施策としての、朝鮮への開国の提案

この時の允植の李鴻章宛書簡

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 我が小邦朝鮮は長年の間の弱体化した状態に有り、俄にこれを立て直すことは困難である。縦令、通商を行い、錬兵に努力したとしても、その立て直しには相当の時間がかかるであろう。以上のことを考慮に入れて今の朝鮮の状態を考えるに、今の朝鮮の務は、国を選んで有効関係を結び、それによって取り合えずの苦境から逃れることである。西洋諸国中、長らく、アメリカは、国が豊かで兵が強く、しかも心が公正で、その心性が和を貴ぶと聞いて来た。国が豊かであれば、他を貪ることが少ないであろうし、兵が強ければ恃みがいがある。しかも、心が公正であれば物事の処理は平らかであろうし、心性が和を貴ぶのであれば、礼儀も尊重するであろう。

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ここには、

 朴珪壽譲りの、「公正な大国」の幻想が見られる

(それは允植のものか、高宗のものか)

 

第三章 親清官僚の誕生

第一節 洋務官僚との接触

 領選使としての苦悩 − 1.国家レベル(開化の為の余りにも大きな財政負担)

            2.個人レベル(領選使行自体の財政難)

→ この結果、允植は計画を、当初の大規模機械をも含む軍事技術の習得から、経費の必要としない、小規模な軍事技術の習得へと改める

しかし、これでは、朝鮮の自衛が困難であることは明らか

→ その間の朝鮮を支えてくれる「正義の大国」の必要

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 我が国が中国の属邦であることは、天下周知のことである。我々は常に中国が現実には宗主国としての役割を果たしてくれないのではないか、そしてもし弱国である我が国が世界の中で孤立するようなことがあれば、つまり、大国による保護を受けることができなければ、独立を保つことは難しいのではないか、と危惧して来た。しかし、今の中国で兵を掌る大臣である李鴻章は、幸いにして我が国を保護することが自らの役割であることを、毅然と自任し、既に自らその旨を各国に明らかにしてくれている。

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つまり、「頼るべき国」としての、清国の浮上(アメリカから清国へ)

第二節 対米開国

  進まぬ対米交渉 − 朝鮮国内の朝野意見不一致

→ これに対する李鴻章の苛立ち → 恫喝 → これによる金允植の屈伏

→ 結果としての、清国主導の外交

第三節 壬午軍乱と允植の帰国

  壬午軍乱 − 結果的な大院君派のクーデター

→ これに対する允植の憂慮 − 日本がこれを口実に介入して来るのではないか?

→ これを未然に防止する為の、清国への軍事介入成

(但し、清国の側は独自に出兵の意を有していた)

 

第四章 穏健開化派の時代

第一節 清朝宗属関係の実質化

  壬午軍乱以後の朝鮮 − 台閣に直接清国人(馬建常)が名を連ねる状態

(加えて、穆麟徳の影響力)

また、ソウルにおける、

 3000人規模の清国軍駐屯 − 規模はソウル市内に駐屯する朝鮮人部隊より大きい

結果としての、

 朝貢関係の実質化 − 象徴としての中朝水陸貿易章程

ここにおいて、

 浮上する、清国側と朝鮮側を結ぶパイプとしての金允植

→ 允植はこの勢力をバックに開化政策に乗り出すことに

第二節 軍事改革と富国論

  允植の江華留守任命 − 以後、積極的に要衝江華の防衛強化に従事

しかし、ここにおける障害としての財源

→ 清国洋務官僚からの様々な助言・富国策

→ その実現策としての、鉱脈探求 → 挫折 → 次の策としての中央財源の割愛要求

→ 挫折 → 軍事的改革の不成功

第三節 甲政変と二つの開化派

  改革の挫折の結果としての清国への依存の高まり・継続

→ これに対する反対勢力の形成 → 所謂急進開化派の登場 → 甲申政変

それでは、

 何故、允植は急進開化派と袂を劃つこととなったか?

ここで示唆するものとしての、

 エリートとしての急進開化派

 実務官僚としての穏健開化派

前者の求める策は

 ある意味で夢想的で実現可能性がない

 

第五章 挫折、そして晩年

第一節 朝清対立と允植の失脚

  甲申政変による清国圧倒的優位 → 朝鮮王朝はこれを警戒するようになる

→ ロシアとの提携の模索 → 清国と朝鮮の対立激化

→ この過程での「清国」としての允植の配流(魚允中との対比)

第二節 「儒教的レッセフェール」への回帰

 この時点における允植の思想

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 今世界は戦乱の中にある。小国と言えども積財と練兵をくし、以って自強をらねばならない。況や我が国は東洋の要衝の地に有り乍ら、一人晏然とし、備えもなく文を守ることのみに務め、自らの安全の為の手段を有さずに来た。春秋時代のf国や近年の琉球の例を考えればこれは懼るべき事態である。甞て私が天津にいた時、李鴻章とその幕僚達は、私に対して、天下の形勢を説き、自強を勧めた。私は彼等の語を聞く度、朝鮮の事態を恐れ、心を動かされた。その後、我が国は親軍営を作り、機器廠を設け、懸命に武備に務めて来た。以来八九年の間、世の動きを見、また時に応じて議論を繰り返して来たが、今日に至ってその考えが誤っていたことを知った。即ち、兵が今日の務ではないことを知ったのである。

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 つまり、ここにおいて彼は長年の経験から、この時点の朝鮮においては、列強の脅威に軍事的に対抗することは不可能であると悟った、というのである。

 

 なぜなら、

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 今、百官の通常の俸給は断たれ、貢市の取り引きは停滞し、国の財政は傾き、民の力は枯渇している。騎兵を七八千人うだけでも、国の内外は怨差に満ち、衆心は離散し、兵餉も思うように任せられない。それを続けても内乱が起こるだけであり、それがどうして列強の侮りを禦ぐことに役立とうか。

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 即ち、朝鮮の社会・国家には、そのような軍事強化を支える力がないからである、というのである。

→ その為の「自由放任的」策の主張

第三節 朝鮮の財政と「軟性国家」

  それでは、このような允植の主張は、客観的に見てどうであったか?

→ 参照

  ここで注目すべきは、当時の朝鮮王朝が国家として非常に弱体であったと言うこと

→ その意味で允植の主張にはそれなりの説得力もあったと言える

第四節 併合、そして三一運動

 

むすびにかえて − 認識の中の大国と小国

 ここまで金允植を軸に、植民地化以前の韓国政治人の自国認識の一断面を見て来た

それをまとめれば、

 1.当初は「ナショナリズムの萌芽」となり得るような、「自国認識」を有していた

 2.それが官僚・政治人としての実務経験の中で次第にねじ曲げられ、やがて、「自国の力」を極めて小さく評価して行くようになった

 3.そのような原因としては、現実に朝鮮の「国家」が極めて「ソフト」であったことがあった

背景

 ○朝貢体制下の「中国の平和」

 ○在地支配層の性格の差違

ということができる

 それでは、ここから韓国の今日のナショナリズムに対してどのような示唆・展望を得る事ができるか

 1.今日の韓国人の極めて強い「ナショナリズムの主張」の背景には、このような悲観的な自国認識に対する、反省が存在している

 2.同時に韓国人がそのような主張を行えるようになった背景には、韓国国家の造の抜的変革があったであろう − 日本による「分厚い統治」と朴正煕維新政権

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