石田報告へのコメント− 国家の役割の再検討

 台湾の経済発展。この問題を考える上で、一つの鍵となるのが、いわゆる「開発独裁モデル」、もしくは「韓国モデル」とでも言うべき考え方である。この様々な含意のある言葉を無理を承知で要約するなら、それは即ち、「上からのリソース再配分による経済発展の実現」となろう。つまり、そこでは有能な官僚・政治家がその時々の情勢を客観的且つ冷静に判断し、発展のための計画立案を行い、その計画に従って、今日の発展が成し遂げられた、とするのである。
 今ワークショップでの石田報告の内容は、そのような「開発独裁モデル」が、少なくとも台湾において妥当しないことを指摘し、現実の台湾の発展は、そのような国家の力によってではなく、寧ろ、国家の統制の埒外にあった中小企業によって成し遂げられた、とするものであったと言えよう。このような石田報告の事実面については、元来、台湾研究においてはずぶの素人である筆者が逐一コメントすることは、到底不可能である。しかし、それを筆者の専門でもある韓国研究の立場から見てゆくなら、次のような指摘ができると思う。  その第一は、「台湾の発展は開発モデルの主張するのとは異なるものであった」というのは、今日の韓国研究の流れから見ても妥当であろうと思われる、ということである。上記のような、「開発独裁モデル」については、韓国についても、大阪市立大学の大西裕や法政大学の木宮正史等を中心に批判的検討が行われているが、それらの研究成果によるなら、少なくとも朴正煕政権の初期については、韓国政府が経済をその意図通り統制した、という事実はなく、後に発展の基盤となる輸出についても、飽くまで外貨獲得のための補助的手段として採用されたに過ぎず、政権は大きな関心を有していなかった、ということが明らかになっている。周知のように台湾の国家は韓国よりも弱体であり、また、それが統制する経済の範囲も台湾のそれは明らかに韓国より小さかった。そのような台湾の国家が韓国とは異なり、経済を大きく統制し得た、ということ、また、台湾の国家が韓国とは異なり当初から輸出主導型の発展路線を思い描いていた、ということは、当時の国民党政権の実体面からも、また、三民主義とぃう国民党の公的イデオロイギーのあり方からも、考えることが難しいように思う。そのことは何よりも、台湾の今日の発展部門が、国営企業が大きなシェアを占めていない部門に集中していることに裏打ちされていよう。
 しかし、同時に我々が忘れてはならないことは、そのような「開発独裁モデル」が直接的に妥当しないことだけでは、台湾の発展が、中小企業、もう少し膨らませて言うなら、経済によってのみ実現された、とは言えない、ということであろう。つまり、筆者は台湾には「開発独裁モデル」が全面的に妥当しない、という石田報告には大きく共感を覚えるが、だが、それを「台湾の経済発展は中小企業によって成し遂げられた」とか「台湾の経済発展の第一の要因は中小企業の活力だ」と言い切るには躊躇を覚えるのである。
 この点についてこれまた韓国の例を挙げて説明してみよう。朝鮮王朝時代の朝鮮/韓国の近代化を考える上で重要なのは、韓国の国家に「上からの近代化」を実現するために必要なコストに耐えうる力がなかった、ということである。これは例えば、当時の政権に農地改革等の大きな改革を行えなかったというようなレベルに留まらず、近代化の極めて初期の段階である軍事的近代化の段階で、その基盤となる兵器工匠を建設する財力がなかった、というレベルの問題としても現れてくる。言うまでもなく、その背景には、王朝政府が在地社会に対する統制力を喪失していたことがある。これに対して、独立以後の韓国においては、確かに国家は、自らの意図した通りに社会や経済を自由に統制することはできなかったが、それでも、農地改革を行い、徴税等の面で一定レベル以上の経済への介入を行うことができた。
 この点は看過されがちであるが、実はこのような改革と介入能力を持つ国家は、途上国では例外に属するのである。言うまでもなく、農地改革は、それにより、土地と労働力を商品化させ、結果としてそれら流動化させ、経済の資本主義化をもたらすのに、決定的な役割を果たす。そして、このことは当然、台湾についても妥当する筈である。つまり、韓国と台湾は、農地改革を「自力」で行え得た数少ない国家の一つであり、それが果たした役割は実は大きいのではないか、また、この農地改革に代表されるような、政治と社会、或いは経済との関係が大きく変化したことが、両国の発展において重要であったのではないか、筆者はそう考えるのである。確かに台湾の発展は中小企業の発展として現れた。しかし、それは必ずしもそれが中小企業であったから発展した、ということにはならないし、ましてや台湾の中小企業に他国と違った特殊な力があった、ということを直接的に意味するものではない。周知のように、韓国の経済発展は、台湾と対象的に国家と密接な関係を有した財閥により行われた。このことは、一九六〇年代、或いは七〇年代に発展するにあたっては、少なくとも他の選択肢があり得た、ということを意味していよう。そして、それを敢えて「中小企業が」という為には、台湾の中小企業が、他の途上国のそれにはない特殊性が有った、ということが証明されなければ、「事実を描写する」だけならともかく、発展の「動因」の説明を意図するものとしては些か不十分なのではなかろうか。
 思うに、韓国と台湾という両者を並べてみたとき、重要なのは、そのような経済の面よりも、寧ろ、両国において脱植民地化の過程以前に経ていた、社会、就中、在地社会の変化なのではないであろうか。例えば、堀報告では、韓国の農地改革が可能となった背景に、対日協力により地主の権威が失墜していたことがあげられていたが、同様のことは台湾においてはなかったであろうか。また、多くの途上国に比べて、両国において、強力な秩序維持が何故可能となったのか。これらの点が十分に解明されなければ、両国の発展のメカニズムが明らかになったと言うことは難しいように思われる。
 誤解を招かないようにつけ加えておくが、先述のように、筆者は石田報告の基本的な方向性には大きく賛同するものであ。「開発独裁モデル」、就中、その中の最も単純なものが、韓国や台湾の発展を適切に説明していないことは間違いがなかろう。しかし、それをただ批判するだけなら、それは少し安易なのではなかろうか。「開発独裁モデル」はNIES現象を説明するにあたって、「上からの改革」という視点を持ち出すことにより、社会・経済・政治等に渡る幅広い変化を説明する総合的なモデルであった。だからこそそれは大きな説明力を持つことができた。重要なことは、我々がこの「開発独裁モデル」に変わる新たなモデルを構築することであろう。そして、その新たなモデルを考える上で、実は日本からの脱植民地化の過程、更には、韓台両国が経た、日本植民地時代の共通の経験 − 例えば、土地調査や戸籍の整備 − が重要なのではなかろうか。我々はもう一歩踏み出す必要があるのである。

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