ひょうご講座用レジュメ(6月16日分)

日韓(日朝)関係史 (近代〜現代)

神戸大学大学院国際協力研究科 助教授
木村 幹

はじめに − 近代日韓/日朝関係史を見る視点
「普通の外国」を見る視点の必要

1. 朝鮮/韓国「近代」の前提条件
 A. 朝鮮半島の地理的位置 − 欧州から最も遠い土地
 B. 「出島」の欠如 − 情報ルートの限定
 C. 「黒船」の遅延 − 20年の時間差の意味
 D. 朝貢体制包摂の意味 − 「小国」意識と「主権国家」化の課題

2. 初期近代化を巡る問題
 A. 二回のアヘン戦争を巡って − 情報ルート故の情報の正確性と、その判断
 B. 大院君による「本土決戦」の成功 − 「衛正斥邪思想」と、日本の選択の特異性
 C. 開化派のディレンマ − 「上からの改革」と王朝国家の弱体

3. 「大韓帝国」の選択
 A. 考えられる三つの道 − 国内資源動員、海外資源動員、改革の放棄
 B. 親日派・親中派・親露派 − 開化派の選択を考える
 C. 高宗の「勢力均衡政策」 − はじまらなかった「富国強兵」
 D. 日露戦争と大韓帝国の終焉 − 東アジアにおける日本の覇権と選択の消滅

4. 「日本統治」とは何か
 A. 植民地支配への普遍的視点 − 「特別」でない日本の支配
 B. 日本統治の基本的矛盾 − 日本支配の矛盾する二つの「論理」
 C. 「陰謀」の欠如と政策の迷走 − 安全保障のための支配ゆえの「無策」
 D. 特別でない日本の支配 − 古い植民地支配と新しい植民地支配

5. 「解放」へ向かって
 A. 日本統治期の民族運動 − 「沈黙」、三一運動、そして、停滞
 B. 突然の終了 − 準備と勝利なき解放と解放後の混乱
 C. 影響力を完全喪失した「宗主国」 − 敵産処理とルサンチマン

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6月16日の講義のポイント

近現代における日韓関係史
視点・「他の国」を見るのと同じ視点で朝鮮/韓国、及び、日韓関係を見ること
→ 「善悪」を一旦離れて、それがどのようなものであり、何故今日の問題を残したか
→ そこにおける最大の争点としての、日本植民地支配

現実には、これを理解するポイントは以下の三つ
(A)何故に、朝鮮/韓国は植民地化することとなったか?
(B)日本の朝鮮/韓国支配はどのような動機で行われ、どのようなものであったか?
(C)それはどのように日本人及び、朝鮮/韓国人に、どのように理解されたか?
→ 歴史を理解する上で重要なのは、「事実」以上に、それがどのように認識されているか

★(A) − 朝鮮/韓国は何故植民地化したか?

今日までの、朝鮮/韓国植民地化への理解 − 日本の「侵略」の過程を中心に理解される → しかし、その前提として、より重要なのは、何故に、同じ東アジアの国でありながら、日本と韓国の間では、一方が支配者となったこと
→ その前提としての力の格差 → 何故これ程までに力の格差が開いてしまったのか?
そもそも、
 朝鮮/韓国 − その「基本的国力(人口・面積)」からすれば、日本と絶望的な格差がある国ではない
(世界の中での「中規模の国」としての韓国)
また、
 独立後の韓国の目覚しい発展 − 何故に、19世紀に同じことができなかったのか?
→ 言うまでもなく、この格差を齎したのは、両国の「近代」における経験
では、
 何故、朝鮮/韓国の近代化は失敗したのか?
そのポイント
あ)スタート時点におけるハンディキャップ
1.「黒船来航」の遅れ − 「世界の果て」としての朝鮮半島(資料1・世界地図)
 1866.丙寅洋擾 1881.対米開国 CF.西洋史における「幸運な」1860〜70年代
2.「出島」の欠如 − 西洋文明に対するアンテナの欠如
3.安全保障面における中華帝国への依存
→ このような欠陥が相互に作用することにより、朝鮮/韓国は「近代」における貴重な「時」を失う
例・アヘン戦争(第1次、第2次)、大院君政権、初期開化派の「小国」意識
では、
い)このようなハンディキャップを有した朝鮮/韓国はどのように「近代」に対したか?
ここで考えられうる「戦略」
1.近代化を一切拒否する
2.近代化を(一定範囲であるにせよ)行う
 A.資源を「内」から動員する − これは極めて「困難」(と認識されていた)
 B.資源を「外」から動員する − いわゆる「開化派」
→ 親日派・親中派・親露派・親米派といった区別は、ここに由来している
 C.資源を動員しなくても良い方法を考える
最終的に、植民地化以前の朝鮮/韓国は、C.の選択を行う
∴ 19世紀の朝鮮半島においては、軍事的には勿論、経済的・文化的にも、他国(日本・中国・エジプト・トルコ等々)と比べ得るような大規模な「近代化」は起こらず
→ 朝鮮半島には、「連合艦隊や八幡製鉄所」は勿論、「開陽丸や富岡製糸工場」もなかった
それに代わるものとして、
 時の国王が自らの国を守るために積極的に推進したのが、「勢力均衡外交」
→ 自らの国を守るため、意図的に朝鮮半島における列強の「勢力均衡」状態を演出
→ 1897.の大韓帝国成立は、正にそのような朝鮮王朝の試行錯誤の産物
注意しなければならないのは、
 当時の朝鮮王朝の目的からすれば、これは明らかな「成功」であったこと
例・江戸幕府 − 「開国」の結果、崩壊
  清朝 − 改革の究極的結果としての辛亥革命
が、このような客観情勢は、
 日露戦争の結果、北東アジアにおける「日本の覇権」が(朝鮮王朝の予想外に)成立したため、失われることに → 植民地化へ

★(B)日本は何故に朝鮮/韓国を植民地支配したか?また、どのように支配したか?

そもそもの明治日本の朝鮮半島への基本的関心
例・山県有朋「利益線(主権線に対して)」
− 朝鮮半島は日本の国土防衛にとって最重要事項である、という強固な「認識」
(ロシアの存在を念頭におく)
→ 国土を防衛する為の朝鮮半島確保
CF.尤も、本当に重要であったかは、考える余地がある − 海洋国家としての日本
これに対して、
 経済的認識の小ささ
− (少なくともその時点においては)小規模で魅力のない市場としての朝鮮
→ その結果としての、植民地支配当初における、日本の経済的無策+税負担の小ささ
(現実性のない、東洋拓殖会社による、入植計画 → すぐに挫折)
このような結果、
 当初の日本支配は、圧倒的に「治安」とそのための「調査」に比重を置いたものに
→ 「軍政」の形式を有した日本の支配 
CF.台湾当地初期の「苦い」経験
ここにおいて表面化する日本統治の論理的「矛盾」
1)公的イデオロギーとしての「内鮮一体」
2)実質的な支配形式における内地とは全く別個な植民地支配統治(軍政)
CF.植民地としての、朝鮮・台湾 − 何よりも法体系が違う
具体的には、大日本帝国憲法の適用停止 → 参政権なし、徴兵なし
この2)の意味において、
 日本の朝鮮半島支配は、実質的に他列強のそれと何も変わらない
が、日本のそれが他列強と異なる点があったとすれば、
 相対的に大きな日本が、相対的に小さな隣国を支配した結果としての、「分厚い」統治
例・在印英国官僚 3000人、同軍隊 67000人、人口3億人以上(1914年)
  在朝日本官僚 52270人、同軍隊 200000人、人口2200万人(1938年)
→ その結果、日本の支配と、その「矛盾」は朝鮮社会の末端まで、実感されることに
→ 支配への「失望」としての「反日運動」 → 「三一運動」 CF.台湾
さて、
 このような朝鮮半島の民族運動 − 植民地支配の間、一貫して「盛ん」であった訳ではない
1895年〜 第1次義兵運動
1907年〜 第2次義兵運動
1910年代 「安定した」状態
1919〜1920年 民族運動のピーク
1923年〜 民族運動の沈滞
1931年〜 総力戦体制下での「親日派」の大挙登場
さて、日本が朝鮮半島を「安全保障」のために確保した、ということは、日本はそもそもそれを「確保する」こと以外に朝鮮半島への具体的政策をもたなかったことを意味する
→ 強力な支配の、方向性を持たない迷走
が、1919年の「三一運動」以降、統治の「ガス抜き」のため、更には、帝国の経常収支安定のために「開発」が行われる → 「米輸出基地」としての朝鮮 → そのための様々な施策
結果としての、
 朝鮮半島の「経済的発展」≒大日本帝国への経済的包含
例・経済的成長はするが米消費量は減る - 今日の途上国の「飢餓輸出」と同じ構造
→ やがて、これは「総力戦体制」下において、更に進められることとなる
根本的な問題は、
1) 内外地の法的区別 − 選挙権の不在、帝国憲法の事実上の停止
2) 内外地の経済的格差 − 経済「成長」の格差ではない
3) 大日本帝国全体における「ルール」の問題 − 例えば、「女性」の地位
→ 同じルールでも「条件」が異なるので、異なるように働き、異なるように受け止められる
例・「徴用」と「強制連行」、或いは、「従軍慰安婦」
CF.「遅れてきた帝国」
− 1920年代以降の国際的ルールが変化しつつあった時代に「古いルール」に従って支配
→ 1910年には問題ではなかったことが、1930年代には問題となる
同時に、日本支配における「新しい」部分
例・「開発」される「持ち出し」植民地 − 1890年代頃からの新しい植民地支配のあり方
→ 尤も、「持ち出し」であることは、必ずしも「現地の人のための支配」であることを意味しない

★(C)では、このような日本の朝鮮/韓国支配はどのように受け止められたか?

例・1945年の「解放」 − 朝鮮人が日本支配を「嫌悪」していたことは、この時の様々なエピソードから明らか(因みに、これは台湾人も同様)
何故か?
1)日本支配の論理的矛盾 − 「語ること」と「行うこと」の不一致 → 強い不信
2)「社会的成功のチャンス」の限定 − 「国」を失ったこと
 例・総督府官吏 − 最高位は「道知事」
3)「植民地支配」の基本的問題 − 「他人」に支配されること
 日本人は朝鮮人を、実質的に、自らより劣る「他人」として扱い、これを支配に関与させず → 支配の「結果」よりも、それが「どのように行われたか」 − プライドの問題
その意味で、
 日本統治の最大の問題は、朝鮮人を「日本人」として扱えなかったこと、にある

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