日韓セミナー「東北アジアの平和と発展のための日韓協力」
(韓国政治外交史学会・神戸大学大学院国際協力研究科合同セミナー)


第3主題 歴史認識と文化交流の側面から見た協力の課題


報告者 金  文煥 氏(ソウル大学)
討論者 木村  幹 氏(神戸大学)

(司会) 朝、第1主題、第2主題をしてきましたが、熱い湯に入ってからも冷たい湯に入り、また熱い湯に入るような気持ちですが、第3主題では、ちょうどいい湯加減になるのではないかという気がします。我々は、やわらかい気分で終えていけるのではないかと思います。
 「歴史認識と文化交流の側面から見た日韓間の協力」という課題でお話しいただきます。このセミナーのために我々が非常に幸いに思うのは、今日の発表者の方々、韓国政府のシンクタンクに属し、そして韓国の文化開放政策開発院におられる、ソウル大学の金文煥先生のご発表を聞けることを大変に光栄に思います。

(金文煥) ただいまご紹介にあずかりました金文煥です。今日、私は勉強する人間としてここに参りました。研究者として参りました。そして、このごろ話題になっている金大中大統領の日本に対する文化開放政策については、ちょっとお預けにしたいと思います。個人的にはお話をするかもしれませんが、原則的には今日与えられた題目についてお話ししたいと思います。
 歴史認識と文化交流という2つの問題は、非常に緊密な関係にあります。しかし、非常に負担感のある題目です。なぜかと言うと、ここには歴史の研究者の方々がたくさんいらっしゃいますので、この部分について私がどうこう申し上げることはできません。下手をすると誤った知識を発表してしまうことにもなりかねませんので、ちょっと慎重にならざるをえません。
 最初に、与えられたテーマに添ってお話をしたいと思います。全部はどうもお話しできません。昨日、我々は古代に関する話をお聞きしました。金栄作先生から「文禄・慶長の役」に関するお話を聞きました。実際、1906年に国交が結ばれたと言いますが、私の知っているかぎりでは、「事大主義」という言葉でくくられるような中華秩序が弱化することによって、両国は自分の国を中心に考える時点に来ていました。朝鮮は中心主義的な小中華主義、そして日本は日本型の華夷意識といった2つの対立する関係にありました。そういう2つの矛盾する関係の中で、通信使の往来にもかかわらず、日本は結局、侵略政策による植民地時代という取り返しのつかない悲劇を招くことになります。
 植民地統治による苦痛が、民族の分断によりさらに大きくなっていたさなか、1965年に日韓の国交の正常化が結ばれました。ところで、被害者である韓国国民の中では、日本的なものに対する拒否反応が依然として根強くあります。特に近代化を進めるにあたって、エコノミックアニマルというあだ名までつけられた日本に対して多くの部分を依存するしかなかった現実が、韓国人の中に日本に対する愛着と憎悪という相反する気持ちを植え付けてきました。特に民主運動に関係する人たちは、独裁政権に対する反発と相互作用を得まして、日本に対するそのような意識がより強く固められたと思います。そういった傾向を否むことはできません。あとに時間がありましたら、私が把握している韓国の各時代についての意識について、お話ししたいと思います。
 とにかく、こういった状況の中で、日韓、東北アジアの新しい歴史認識に関する努力が必要です。これは当然のことです。あたかもこの委員の中の一人であるユネスコ韓国委員会がユネスコドイツ委員会とともに、「歴史教科書国際フォーラム」を昨年の9月にソウルで開催いたしました。私はこの集まりで、我々が持っている歴史認識の修正というもの、そういう課題について非常に勉強になったと思いますので、その内容についてご紹介したいと思います。
 ご存じのとおり、ポーランドとドイツ、そしてフランスとドイツ、あるいはフィンランドとソ連というそれぞれの隣接する国は、長い歴史の中でいろいろな問題を抱えてきました。その集まりにおいては、これらの国々がそれぞれどのように両国間の関係を未来志向的な歴史認識に変換し、努力を重ね、他の国家間での葛藤の解決のための参考になるかということで話し合いが行われました。日韓両国が正しい歴史認識を、何をすることによって学ぼうかということが、底辺には敷かれていました。政治的、軍事的な歴史よりも、まず、文化的な交流を対象とみなし、「侵略」や「犠牲」という用語はできるだけ使用しない。そして、複雑な歴史の過程を事実のとおりに説明することに重点を置く。そして国家間のアイデンティティよりは、国家間の紛争回避のための教訓に軸点を置く。また、政府の役割はできるだけ縮小する。また、比較史的な知識を通じた歴史認識の違いを尊重しよう。そのような内容でした。
 日韓間のこのような努力は、これまでになかったわけではありませんでした。私も、その日に発表されたいろいろな資料から、両国間に20年以上にわたる話し合いがあったということを知りました。ところでその中で、特に1982年以降に日韓の歴史教育に関する集まりがあったということが注目されます。ご存じのとおり、1982年にいわゆる教科書問題がありまして、それを契機としてそのような協議会が開かれました。1982年、日本の文部省が日本の教科書を制作するにあたって、「侵略」という言葉を「進出」という言葉に直したということについてアジア各国から批判が起きました。事態の深刻さに気づいた日本政府が、「責任を持って教科書を修正する」と表明することによって、この教科書問題はある程度治まりました。
 しかし、例えば皆さん、現在、広島の平和記念館へ行くと、そこに張られている写真の説明においては、「この時期日本は韓国に進出していた」という説明がついています。つまり、今日までに至るまで、韓国の批判的な人の立場で見ると、自分たちの行った侵略戦争を美化したり、擁護したりする意見がまだまだ残っている、まだまだ再生産されているという見方ができます。そして、これによって韓国をはじめとする各国から、日本に対する批判が依然として高く起こっています。このような常識に我々はどのように対応しなければいけないかが、まさしく未来に向かっての課題ではないかと思います。
 事実上、個人的な次元で、あるいは民間的な次元で、約20年にわたって歴史認識の正しい確立に関するさまざまな努力は進められてきました。しかしながら、日韓間の学術文化交流機関のレベルにおいては、まだまだ著しい意見の違いが存在しています。先程、ユネスコのお話を説明しましたが、1965年にすでにユネスコ本部の支援の下に、日韓両国が歴史教科書の共同活動を進められるようなチャンスがありました。ところが、日本のユネスコ委員会が国内事情を利用して無期延期を求めてきまして、結局、その集まりは実現されませんでした。日本側が明らかにした国内事情は、家永三郎氏の教科書裁判が始まって、代表団の人選に非常に困難が生じたというものでした。
 ところで、30年が過ぎた1997年、そのような機会がまた訪れました。それにもかかわらず日本のユネスコは、日韓間の協議活動に参加することを非常に渋りました。それを見ますと、必ずしも先程言いました理由だけがすべてではなかったのではないかと思います。韓国ユネスコは、1997年3月に日本ユネスコに対して、今回のシンポジウムをきっかけに歴史教科書の改善作業を共同で進めるように提案しました。私もそのメンバーでした。
 ところで日本側は、「日本の教科書は検定制度の下で民間人が執筆しているので、共同研究の成果を反映することを強要することはできない。そこへもってきて、最近の日本の歴史教科書はずいぶんと是正されてきており、日韓間に意見の違いはありえない」という理由を挙げて、韓国側の提案を拒絶しました。国際的な関心の中で、日韓両国のユネスコがひざを突き合わせて歴史認識問題を幅広く論議しようというせっかくの機会が、再び失われてしまったことは残念と言わざるをえません。
 私は、この集まりに一人の主催者として参加し、ずっとその推移を見てきましたが、韓国の学者の方々はご存じでしょうが、最近ソウル市立大学が再び日韓教科書の問題について集まりを持ちましたが、そのときに大きな役割を果たされた先生がおられました。この方が整理された内容を、私は個人の考えというよりは、非常に良識ある韓国の歴史教育担当者の意見をまとめたものであると感じますので、いくつか要点をまとめて紹介したいと思います。
 まず、歴史教育が担っている機能は、国家ごとに少しずつ違っています。それをいったんは認めましょう。韓国の場合は、民族統一と自主的発展に寄与することのできる歴史意識の育成が、歴史教育に求められた第一義的な課題です。これは、植民地遺産の清算とは無関係ではありませんが、日本帝国主義の韓国侵略と支配は単純な過去の歴史ではなく、今日的問題に直結するような現実の問題だからです。多くの人たちが言っていますが、日本帝国主義による朝鮮半島の占領がなかったならば、第2次世界大戦後に、南北分断という事態はなかったであろうと言います。そして分断がなかったなら、ある意味では、今日の韓国の民衆が味わっている苦痛は非常に少なかったのではないか。
 歴史を「もし」ということで仮定することはできませんが、他の民族には他の民族歴史観があるということを、歴史教育の国際化においてどの程度まで容認することができるのかも考えておかなければいけません。例えば、先程申し上げましたが、最近、日本で自国中心的な歴史認識が新たに高まってきています。その主唱者たちは、日清戦争以来の日本が挑発した戦争を自衛戦争、アジア解放戦争などと美化しています。これから日韓の協議活動においてやっとの思いで作り上げた今日までの成果を、一夜にして水泡と帰すような余地のあるものです。これは日韓関係の問題だけではなくて、帝国主義に対する美化問題は独裁問題の美化とも関係があるので、韓国内でも論争の種となりうる部分です。そういった普遍的な位置を否定するような誤りを侵す可能性も含んでいます。韓国の国内においても、歴史発展における過去に関する評価の問題は非常に重要な課題です。
 いずれにせよ、3つ目の問題として我々が考えなければいけないのは、自国中心的な関係、考え方、韓国と日本の歴史教育についてどの程度定着させる必要があるか。単なる日韓両国の問題だけではなく、東アジア全体の問題でもあります。韓国、日本、中国が国交を交えている東アジアという地域は、世界的に見るとき民族主義的な性向が非常に強い地域でもあります。そこにはそれだけの歴史的な理由があります。そういうところから脱皮することなく、本当の相互理解、相互協力は成し遂げることはできない。そして、東北アジア全体の問題として扱っていくことが非常に重要ではないでしょうか。もちろん、韓日両国が統一された歴史認識を持つことはできませんし、またそうすることが望ましいとも言えません。少なくとも人類共有の普遍的な価値を前提として、我々が世界の平和を話し、地域平和のことを話し合うように、歴史教育の問題についても参考にすることができるような副教材や勧告案を作ることができるのではないかということです。
 あとでも申し上げますが、このようなものは決して政府の干渉でできるのではなく、良心的な学者たちの努力によって成し遂げなければいけないと思います。日韓両国の歴史協力と研究の成果を、正確、豊富に伝達しなければいけないということが一つの課題であると思います。朝、吉田先生からいいお話を聞かせくださいました。先生から本もいただきましたし、そういったよい、非常に参考となるべき資料などをたくさん翻訳するなど、研究する必要があると思います。
 歴史研究会は、これまで被害者的な立場で日本の歴史教科書を分析するところにばかり力を置いてきましたが、韓国の歴史教科書はどうなのかということについては手薄であったのです。自分の欠点は隠しておいて、人の欠点ばかりをあげつらうということが全然なくはありませんでした。独裁の問題とも関係があります。そういうことを教科書の中でどう扱うかについても、日本の植民地時代の残滓をどう清算するかということと非常に深い問題を持っています。どのような政権でもいったん正当性を持つためには、是非をたださなければいけないということです。歴史的な妥当性を完全に無化させるなどの傾向もあるわけですが、そういう内容についても日本との話し合いを重ねていく必要があると思います。また、耳が痛くなるほど日本帝国主義時代の話ばかりを聞くものですから、重複した内容が何度も出てくるという部分も是正されなければいけないのではないか。私の専門ではない分野ですが、いろいろな文献を参考にしながら歴史認識と関係する問題についてお話をしました。
 しかしながら私は、このような問題は広い意味で文化交流と無関係のものではないと思っています。歴史と文化は、人間の生活において全く不可分の関係です。昨日から続けてこの神戸にいまして、ワールドカップの共同開催が持つ重要性を改めて認識しました。私は、韓国にワールドカップ開催都市を選定する作業に関与しましたので、その問題の持っている深刻性を少し知っている方であると思いましたが、神戸に来てみると我々の準備がいかに不足しているか、まだまだ不十分であると実感しました。2002年のワールドカップの日韓共同開催を本当に成功裡に終えるためには、私はいくつかの基本的な共通認識がなければいけないと思います。
 文化的な観点に立って、お話ししたいと思います。これは、単なるサッカーの試合であれば、一生懸命グランドで走って、ゴールを入れることができるようにということで終わるのですが、そういうことだけではなくて、単純なサッカーの試合ではない、本当に歴史的な事件であるということを強調しています。そうするとき、まず我々が考えなければいけないのは、お互いが違うという認識を前提としなければいけないということです。もちろん、同質性を求めるのは重要です。
 南北問題についても、50年間の違った歴史経験を通じてお互いが違ってきているということ、その違った我々が共通の方向性を探さなければいけないのだということです。その異質性と同質性が、南北の問題の一つの重要課題になっています。日本の社会がそうであったように、日本の社会もやはりアメリカ文化の圧倒的な影響を受け、現在も受けていますが、だれもそれを韓国のものであるとは、あるいは韓国のものになってしまうであろうとは考えていません。アメリカ文化が他者の文化であると認識されていることだと思います。外国文化の位置付けを他者と考えることによって、外国文化を容認することにつながります。つまり、これが文化的ディスタントにつながります。
 日本と韓国の文化は構造的に非常に似た部分があるので、大きく修正することなく受け入れることができるのです。したがって、日本の文化が韓国文化に及ぼす影響は非常に大きいと言われています。そういう状況の中で、いったん日本の文化を他者と認識しようと主張しています。それが相異の原理であると名付けています。他者としての認識が不足しているがために、日本の文化を受け入れるにあたって、可能であれば日本の色の少ないものから受け入れようという意見が出ています。
 例えば、日本の歌手が日本の歌謡を日本語で歌うことは認めませんが、日本の歌手が外国の歌を歌うのは認めるというやり方でした。また、テレビで放映されるアニメの中でも、日本で制作されたものの場合は、日本色をなくすために国籍不明の地名にすることもありました。はなはだしくは、韓国の地名、あるいは韓国人の名前にすり替えることもありました。こうしたテレビを見た子どもたちは、そのアニメが韓国で作られたのか、それとも日本で作られたのかわかりませんでした。したがって、自国の文化のアイデンティティ、特徴についても、それを打ち立てることができませんでした。したがって、相異なる、相異の原理を打ち立てて、他者を認める、他者の文化を認めるという視点を持つことになります。
 しかし、ではお互いに違うからと言って、ここで一つの争いが生じていいのだろうか。違うと思います。私は、共に生きる、共生、相い生きる、相生の原理を挙げたいと思います。違うけれども、そこから共通の価値を見いだそうとする努力を我々は傾けなくてはいけません。特に、韓国の場合、新羅の時代、元暁大師という方がいました。当時、一つのコンセプトがありました。それは、当時貴族のものとなっていた仏教を民衆のレベルにまで広め、宗派を超えた仏教理論を打ち立てて行こうとするものです。この元暁大師の基本理念の一つが、相異なるものから共通の価値を見いだそう。中心をなす共通の価値を見いだそうといったものでした。これがいわゆる共生の原理、あるいは相い生きる相生の原理ではないかと思います。
 皆様、五行の思想をご存じでしょうか。これは、お互いに、違うものは排斥するという思想ですが、相生、共生の原理をいかに打ち立てるかということがここで課題になります。商業主義に彩られたということ、これは今ワールドカップサッカーの問題でもありますが、サッカーを通じた世界平和の実現がワールドカップサッカーの本来の目標でした。21世紀を迎えるにあたって、22年の日韓共催が一つの好機になると思います。東洋の文化の持つ特徴、そして西洋の特徴をいかに弁証論的にと言ってもいいですが、共生的に西洋のものと東洋のものをバランスさせて一つの人類の文化として高めていけるのか、これが日韓のワールドカップ共催にあたって日韓両国が傾けるべき努力ではなかろうかと思います。
 最後に、私は文化中心の原理を強調したいと思います。文化についての定義づけはさまざまありえます。ヨーロッパの方では、文化について、芸術を中心とした高級文化を指します。しかし、アメリカや人類学者は、人類が持つ行動様式そのものを指すと、おおまかにとらえています。しかし、定義づけがどうであろうと、「文化」という漢字だけを見ても、人間が人間らしく生きるための努力とも解釈することもできると思います。私の名刺にはロゴが入っているのですが、あのロゴは「文」という字を元にしたものです。文というのは自然の上に立っている人間を表した漢字です。つまり、人間がその基盤となる自然を大事にし、自然と共に繁栄しようというものです。そして、文化の化は、1人がまっすぐ立って、もう1人は逆さまに立っているということを表す文字です。人類は、歴史と共に常に変化を続けるということだと思います。
 そうした点から見ると、過去の文化的な蓄積を見直し、その過去の蓄積が未来のために、将来のために、どのように生かせるかを考えなくてはいけません。日韓の間でも、文化という点で一つの基本をなすのは、伝統的な学術、芸術、宗教に対するこれまでの蓄積だと思います。その蓄積の上に立って、大衆文化の受け入れ、あるいは相互間の交流があってしかるべきだと思うのです。なぜならば、商業的な色合いの濃いこの大衆文化について、いたずらに門戸を開放してしまえば、これが市場のロジックに飲み込まれてしまう。そこで、学術や純粋芸術などの本来の意味での文化が、ややもすれば萎縮してしまうことになりかねないためです。
 日本の文化政策もそうでした。つまり、市場での失敗要因をはらむものについては、今申し上げたような対策をとりました。つまり、国家間の文化政策を論じる場合、まず人間的な価値の高い分野から交流を始める環境づくり、土台づくりをまずするのです。本日のこの会合は民間レベルでの会合です。しかし、昨日、県知事、そして神戸市を代表する方々もおみえになりました。それは、干渉はしないけれど、支援はしますよという姿勢の表れではなかったかと思います。文化政策も全く同じような脈絡であると思います。
 そして、韓国では、現在、世代によって日本に対する態度が全く違います。第1世と言われる私の父の世代は、日本の植民地支配を経験した当事者です。したがって、日本に対して恐れと憤りの感情を持っているにもかかわらず、植民地状態から脱するためには、当時としては唯一の道であった、そして先進の文化であった日本から日本の文化を学ばなくてはならないという2つの矛盾する価値観を持っていました。その後、1960年代、親日的な傾向を持った軍事政権が韓国の政権をとりました。あのとき、第1世代は、意識、あるいは無意識のうちに軍事政権を支援しました。
 そして第2世代は、1945年以降に生まれた人たちです。李承晩政権は、表面的には反日政策をとっていました。表面的と申し上げましたのは、国家建設の段階で日本帝国時代のメンバーを官僚として受け入れざるをえなかったということです。しかし、表面的には、反日を掲げた教育政策の中で、私たちは育ちました。この反日教育を受けたとき、私はただの一度として日本の現状について教わったことはありません。ただ単に、日本は悪い国、日本人は悪い人たちだと言い聞かされました。日本の今がどうであるのか、そして日本はどういった点で我々に意味をなすのか、そういったことについては、まったく教わったことはありません。その後、開発、独裁は、ある程度の成功を収め、物質的な国民のニーズは満たされました。ここで新たに文化的なニーズ、欲求が芽生えました。
 『ソウル新聞』という新聞をご存じでしょうか。あれは、かなり政府が株を持っている政府系の新聞です。政府が主導している『ソウル新聞』が、初めて『サンデーソウル』という一種のスポーツ新聞のようなものを作りました。これは、イエローカルチャーを韓国に根付かせた草分け的存在ですが、その背後には何があったのか。若い人たちの政府に対する批判をうやむやにしようとする意図があったのです。つまり、物質的な欲求が満たされ、国民はテレビがあることを当然の事実のように受け止めるようになりました。白黒テレビからカラーテレビに変わったのを経験したのが私の世代です。韓国で作られたテレビ番組は日本の番組をまねたものであると、うわさでは聞きました。しかし、それについてだれもはっきりしたかたちで批判はしませんでした。つまり、日本の大衆文化と接点を持ちながら私たちは育ったのです。
 その後どんどん物質的に恵まれるようになり、私の子どもの世代である第3世代が台頭します。彼らは本物に接することができるようになりました。それまでのものが広い意味での模倣であったとするならば、第3世代は、アメリカや日本からさまざまなパイプを通じて、さまざまな経路を通じて、大衆文化の結晶とも言えるものを取り入れるようになりました。例えば、日本の大衆文化の産物について、あまり反感を持たず、好感を持って受け入れました。しかし、依然公式的には、日本文化には反対という状況です。 つまり、こういった重層的な民族の世代による対日意識があるのです。こういった意識を私たちは考慮に入れて、今後の文化政策を考えなくてはならないと思います。これが本日の私の言いたいことのポイントです。時間の制約があります。そこで、ここら辺で止めておきたいと思います。
 ただ最近、日本で第2次世界大戦での一級戦犯の東条さんを英雄視する映画が作られました。『プライド−運命の瞬間−』という映画が全国で公開されていると聞いています。もちろん、商業主義的な面で利益を追求するという思惑もあったでしょう。しかし、何か日本での新しい傾向なのかなということで心配も先立ちます。また、中国の映画である『南京1937年』というものがありました。これは、日本の右翼の暴力に耐え切れず上映をあきらめてしまったと聞いています。日本の一部の歴史学者は、1937年12月にありました日本軍による南京大虐殺を、「歴史的事実ではない」と主張したことと関係しているのかもしれません。
 私は、日本で1年間という短い期間でしたが数多くの知識人に触れることができました。日本の知識者の中には、こういった新しい動きに対し反対している方もいらっしゃいます。そして、奈良教育大学の田渕さんが、日本の良識ある知識人の歴史認識について紹介されたこともあります。ですから、田渕五十生教授の考えと同じ考えを持つ方が増えれば、日本がより高い国際的地位を占めるのに役立つのではないかと思います。私は、先程も申し上げましたが歴史の専門家ではありません。ただ、長い間日韓関係について考えてこられた、研究してこられた李ソウル大名誉教授の言葉を引用したいと思います。
 「韓国と日本は、過去にも現在も、そして未来においても隣国として生きていくしかない歴史的宿命を持った国です。歴史的な隣国に求められる、あるいは望まれる生き方とは、お互いに理解しあい、そして友宜に満ちた未来史、そして与え合いながら共生、共栄を図ることです。互いに補い合い、友宜に満ちた未来史を生き、世界の平和と人類の繁栄に資するという姿勢を持った歴史人を育てるための歴史教育が、現在求められています。しかし、植民地支配が終わってからほぼ半世紀が過ぎようとしますが、日韓の現状はこうした理想とは掛け離れています。屈折した歴史で絡んでしまった結び目をほぐせずにおり、未来史のパートナーとして互いに信頼できていないところに問題があります。
 中国の古典の中に、『結んだものがこれをほどくべし』という格言があります。つまり、結び目を作ったもの、問題を生じさせたものが、それを解決すべきであるという意味の格言です。屈折した過去の歴史を主導した者、この結び目を作ってしまった者が、積極的に問題の解決に乗り出すべきであります。他方、結び目を作られてしまった側、こういったものは、二度とそうした不幸に見舞われてはならないという決然とした姿勢を持たなければなりません。また、その痛みからくるアレルギー的な感情を大局的な見地から消化させるという、歴史的な視点に立った姿勢が求められます」。という言葉です。
 現在、日韓の間には、歴史研究を支援するための、つまり共同研究を支援するための正式な委員会が発足しました。10月中に、宮崎でその会合があると聞いています。あの委員会は両国の政府が後援します。あれは、きちんとした歴史を作り上げようという試みではありません。より自由なかたちで、そして共通の価値を見いだすための一討論の場を持つことが重要だと思います。私自身もそのような場で、韓国側、日本側双方の様々なご意見なども持ち寄っていって、日韓の正しい歴史のあり方を模索するうえで一助となりたいと思います。ありがとうございました。

(司会) ありがとうございました。
 今回のセミナーの討論者の選定は、非常にうまくいっていると思います。特に今回の発表の討論者は、非常にいい方が人選されていると思います。神戸大学の木村幹先生は、現在は国際協力大学院で非常に重要な科目を担当されています。神戸大学だけではなく、日本側の参加者の中でも韓国語が一番お上手な方だと聞いています。文化交流、協力という点からのコメントを韓国語でなさってもよろしいかと思います。

(木村) 今朝も別の場所で、李鍾元先生と崔鐘鐵先生に日本語でしゃべっていただいた関係上、「お前も韓国語でしゃべれ」と言われたのですが、私の不十分な韓国語でしゃべるとむしろ失礼にあたるかと思いまして、大変申し訳ないのですが日本語で失礼させていただきます。
 今日の金先生のご報告は、基本的にすばらしい報告だったと考えています。私のような若輩者が、コメントできる部分がどの程度あるのかと思いながらお聞きしていました。ただ、私は一応韓国の近代政治史を研究している一歴史家として、歴史を研究している人間から見るとこういうふうに見える部分もあるのではないかという部分、それと私自身韓国に住んだこともありますし、生活を通じてこういう部分も必要ではないかと思える、印象になってしまい恐縮ですが、そういった印象の部分についてお話ししたいと思います。
 まず最初に、本日のお話では歴史教育が重要視されていたと思います。もちろん、これは重要な問題ですが、この歴史教育の問題を取り上げる際に第1の問題となるのは、歴史教育という言葉のうちの歴史と教育、その2者のうちのどちらに重きを置くのかという問題です。先程も『プライド』という映画の話が出ていましたが、この問題を考えるうえでは、いわゆる自由主義史観というものを避けて通れない問題だと思います。
 自由主義史観の学者たちは、「南京大虐殺がなかった」とかいうことも言っているわけですが、そのうちの一つの重要な主張の一つに、「教科書はあくまでも教育のために作るものである。したがって、そこでの事実は選択的に選んでよいのだ。日本の場合は民族主義が不足しているから、日本の民族主義を濃くするような事実のみを載せればよい」と言う考え方があります。それはある一定の教育的目的のために歴史をある意味で操作する、事実をねじ曲げるという意味ではなく、事実を選択することによって歴史教科書を操作することを意味しています。
 もちろん次元はかなり違うのですが、例えば日韓友好のための歴史教科書を作る、日韓友好のための歴史教育を行う場合にも、やはり最初に価値判断があって、その価値判断のために歴史教育の方法を作り上げていく、そういう思考方法があるのではないかと思います。もちろん「それでよいのだ」という考え方もあるでしょうが、しかし歴史というのが、そのように処理されてよいのかというのは、私のような歴史を考えている人間からすると若干疑問に思わないでもないではありません。こういった問題について、先生がどのようにお考えになられるのかお聞きしたいと思います。
 もちろん、歴史そのものについてもそうでして、歴史にはいろいろな扱い方があると思います。本を直前まで読んでいたのですが、ドイツの大昔の学者であるベルンハイムは『歴史とは何か』という本の中で、次のような話をしています。彼によれば、歴史学の中には4つの段階がある、とされます。初めは物語的歴史から始まり、それが教訓的歴史になり、そして発生的歴史、即ち、歴史の因果関係を説明する歴史へと進化し、やがて歴史哲学に到着する。そして、これらはすべて並立的に意味のあるものであると言っているのです。こういったかたちで歴史教育に重きをおいた場合の歴史は、このうちの4分の1の教訓的歴史の部分のみを強調した歴史になるだろうと思うのです。歴史の中にはこれ以外にもいろいろな情報を入手できる部分、ベルクソンの言う残り3つの部分があるわけで、そういったものとのバランスをいかにするかはやはり重要であると、私自身は考えています。以上は、歴史教育そのものについての問題だと思うのですが、さらに日韓を考える上で、もう少し広い視点があってもいいのではないかと思います。
 次に、これは本セミナーにおいて設定された問題の範囲を超える可能性がありますが、多国間関係の中で日韓をいかにして考えるかという問題があります。きわめてドライに考えれば、日韓というのも、日米、日中、日英、日仏等と多々ある国際関係のうちの一つに過ぎないという考え方は、やはり重要であろうと思います。もちろん歴史的には深い関係を持つ両国ですが、例えば現在において、韓国が日本と、もっと言えば韓国のみが日本との特殊関係を持っている国であるかというと、必ずしもそうは言えないと思います。そういった韓国の客観的な現代における地位をいかにして歴史教科書や、もっと言えば日本人、韓国人双方の認識の中に反映させていくかは、やはり避けては通れない問題であると思います。
 もう1つは、同じことなのですが、文化相対主義的、価値相対主義的な考え方を日韓双方が持つ必要があるのではないか、ということです。私のような韓国を研究している人間がソウルに住んでいると、多分逆の場合も同じだと思うのですが、「韓国はこうだ。だからそうしなさい」、という言い方をよくされます。日本人も同じことを言います。「日本に来たのだから日本式にしなさい」。それは、日韓双方において、「日本(或いは韓国)の考え方は正しい。それ故外国人もそうすべきだ」という発想を、持ちがちな傾向が在る、ということです。これは今日の金先生のお話の中にも出てきた内容ですが、こういった部分と、共通の歴史教科書を作る、共通の歴史的事実を発見する部分はぶつかる部分があるのではないかと思うのです。
 事実、南京大虐殺や強制連行を巡る問題は、例えば、被害者の数の問題も重要ですが、例えば南京大虐殺は虐殺だったのか、事件だったのかは、多分に歴史の問題ではありません。もちろん、それは、日本側の自由主義史観の学者たちの言うことを認定しなければならないということではありませんが、そういった歴史の事実を発掘する過程でもそういった価値の対立は起こっていく。そういった問題で価値相対的なものも必要なのですが、これをどのようにして解決してゆくのかという問題があるだろうと思います。
 あと2点ほど指摘したい点がございます。1つは、先程、多国間関係の中での日韓、という話をさせていただきましたが、同じようなことを、大西先生が先日コメントされていました。大西先生がおっしゃったように、日韓における、双方の重要性の比重は違う。日本にとっての韓国、韓国にとっての日本は、その重要性が、やはり違う。これは、客観的に認定せざるをえない問題であり、このことを正面から捉えるべき時期に我々は来ているだろうという気がします。これは、もちろん現在の経済においてもそうですし、若干言いにくい部分になりますが、いわゆる過去の問題、戦前の問題についても同様です。日本は、台湾も中国もフィリピンもマレーシアもインドネシアも侵略しています。例えば、教科書に韓国側が載せているのと同じように、韓国侵略の部分を載せるのであれば、我が国の教科書は第2次世界大戦に対する記載だけでいっぱいになってしまいます。それをもって日本側が韓国側の意見を十分取り入れていないと言われても、この辺は難しい部分があります。もちろん経済に対する部分についても同じだろうと思います。
 これは歴史教育だけの問題ではなくて、本日の報告でも金国振先生の方から日本に対する期待が表明されたわけですが、日本に対する期待、という点について言うなら、今、アジアの国は多くの国が困難に陥っているわけでして、インドネシアも日本に期待している、フィリィピンもタイも日本に期待している、韓国も期待している。率直に言って、そのすべてに答えることは難しいと思います。そういった事情を考慮に入れながら、いかにして双方の認識を作っていくのか。日本側からすると、少なくとも、日本側には異なる点があるのだ、という認識を韓国側に持っていただかないと、我が方としてはいかんともしがたい部分があります。そこをどのようにするかという問題があるのだろうと思います。
 最後に、これは小さな問題なのかもしれませんが、歴史に対する考え方の相違が日韓双方にあると思います。つまり、韓国では、大まかな傾向として過去の事実を現在の自分に直結する問題と考えます。例えば、金栄作先生から報告がありましたが、文禄・慶長の役の問題は、もちろん日本が侵略されなかったからという問題もあるでしょうが、日本に住んでいて日本文化に染まっている者、その中には自分たちは朝鮮半島から連れてこられた子孫であるというアイデンティティを持っている人が現在までいる訳ですが、彼らが、それに対して「恨」を抱いているか、というと、多くの人は、それを抱いていないと思います。しかし、韓国においては、例えば当時、何百年も前に自分たちの家が日本によって、焼かれたという事実が伝承として引き継がれていて、それは現在の自分にとっても許せない、という発想になる傾向があるという感触を私は持っています。その辺のところが、歴史に対する韓国側の大きな期待になっているのではないか。日本人もそのような「現在と直結する過去」という視点を持つべきである、というのはそうかも知れませんが、現状においては、日本人が韓国人的な歴史観を持つことは非常に難しいと思います。
 例えば、個人的な過去の問題に日本人は、個人としては、簡単に謝罪する、わかりやすく言えば、I'm sorryを簡単に言う傾向がありますが、それはある意味で、日本人にとっては過去と現在が切り離されているからこそ簡単にできるというところがあるように思います。逆に言えば、それが切り離されていないと思う一部の人間は、過去の事実については、簡単に謝罪しません。いずれにせよ、そういった傾向があるわけで、歴史教科書なり歴史教育の問題、こういった過去の認識の問題を通じて、日本側がどの程度変われるのかという問題は、韓国側が考慮する必要がある部分だと思いますし、そのような日本人の歴史観故に、韓国側の期待に添うことが難しい部分があるのではないか、と思います。そういう部分について、先生がいかにお考えになられるかを、大きな問題ばかりで非常に恐縮ですが、ご意見をぜひこの機会にお聞かせ願えればと思います。

(金) 1時までには終えなければいけないと思いますので、すべての問題には答えられないかと思います。私は哲学が専攻で、歴史が専攻ではないので、すべてにお答えはできないかと思います。しかし、歴史観というもの、この史観の大きな部分が哲学的な部分と結び付いていますので、私なりにお話ししたいと思います。
 歴史と教育の中でどちらに重点をおくのか。歴史は単純に事実だけを見て、教育は単純に、その中で自分が気に入ったものだけを選んで、自分が気に入ったものだけを教えるのか。つまり、教訓的なものだけを教えるのか。つまり、歴史と教育のどちらに比重をおくのかという質問はありうると思います。しかしながら、歴史に対する理解、それから教育に対する理解はそれほど分離されるものだと思いません。歴史をどういう目で見るか。そして、過去、現在、未来に対する財産と見る場合、その意味は、現在の個人的な、あるいは集団的な利己主義と結び付くような面を探すのか、あるいは共通したものだと見るのか、つまり共通の反映という点から歴史を見るのか。つまり、その見方によって違うと思います。
 被害者に対する共感が、やはり切実に必要だと考えられるのですが、このような歴史認識が十分に行きわたっていない場合、修正主義が必要であると考えられます。最近の日本では、自由主義史観の人たちが、従軍慰安婦の人たちを「売春婦」と言っています。そしてその教科書から従軍慰安婦の記述を削除させようとしているのが、田渕先生の見る観点でした。つまり、これが真実か、まちがいか、虚偽かを見るときの視点とかかわってくると思います。つまり、歴史を見る目という点から、半分虚偽なものと、半分真実のもの、その判断において非常に混乱が起こっているのではないかという気がします。 問題は、事実かどうかよりも、その文脈の中での認識が大事なのではないでしょうか。つまり、朝鮮半島から日本に影響を受けたかどうかについて、そうではない、そうだという意見がありますが、そういう論議はあくまでも幼稚な論議ではないかと思います。当時の韓国、朝鮮半島に住んでいた人々が、日本に住んでいる人たちに知恵を与えたように考えてはいけない。日本の立場から見ますと、自分の必要によって自分の自由な選択だと見る必要がある。だれが影響を与えた、与えていないかを見るのではなく、その当時の歴史的な状況はどうであったか、そして物質的な状況はどうであったかによって、ある部分では役に立ったわけでしょうし、伝わったルートはある面では中国を通ってきたでしょう。ですから、そのような事実のみを語る必要はあると思います。私は、その自由な選択によって受け入れたと考える必要があると思います。
 ある人が、『選択』という本を書きました。ある女性の運命を自分が自由な選択によって得たものであると、つまり運命によって、文化によって強制されたのではなく、自分が自ら選択して受け入れたという本でした。つまり、日本植民地時代に西欧文化が朝鮮半島に入ってきましたが、これは自分の繁栄のための選択であったのか、強要であったのかによって意味は変わってくると思います。
 それから相対主義という話をされましたが、私のペーパーでは相い生きるという単語を使いましたが、マンハイムの言う相関主義と非常に近いと考えています。つまり、新たな発展のために、共同で共に努力するという意味で、相関主義的な史観には私は賛成します。しかし、お前か、私かという相対主義的なものには賛成しません。与しません。 それから、先程お話にありましたように、侵略戦争だけを強調することになれば、日本の教科書は第2次世界大戦までで終わるだろうという発言に関しましては、私は、そういうものであればそれで終わらなければならないと思います。つまり、私は小学校をここで送りながら、非常に関心を持って見たのは、ナチズムに対してどのように教えているのかということでした。彼は、徹底的に初等教育の段階でナチズムの弱点は何であったか、そして当時の歴史の中で避けられないものであった、つまり再び繰り返してはならないものだと教えて、それを国家外交の指針として定めていました。それが現在のドイツの姿につながっていると思います。ですから、周辺国家と仲良く問題を起こさず暮らしているのは、そのような教育が基本になっていたと思います。

 ですから、そのような立場から、韓国内で最近、開発独裁を無条件擁護する立場が出ていますが、それは、問題点を分析せずにクリアして次に進んでいくやり方だと思いますので、これは反省が必要だと思います。同じようなコンテキストから、日本にいる良識ある人たちも、過去をもう一度見直していただけないかという気がします。田渕先生の本は、先程申し上げましたが、そういう意味でも非常にいい示唆を私に与えてくれました。
 時間もありませんので、以上で終えさせていただきたいと思います。

(司会) お疲れさまでした。司会者として一言ご評価を申し上げたいと思います。
 今日の内容は非常に充実した内容でした。そして、このようにできたのはひとえに発表者、そしてコメンテーターの非常に真摯な、そして内容のあるお話であったと思います。そして、皆さん、時間をよく守ってくださいました。にもかかわらず30分の延長になりました。ワールドカップサッカーのようにイエローカードをいただかなければいけないかもしれません。これで、午前中のセッションを終わります。

レジュメの目次へ戻る
inserted by FC2 system