京大比較政治学研究会用レジュメ 
2000.7.22. 

ソフトステートから「地域感情」へ
− 韓国における「権威主義的国家」の形成と崩壊

神戸大学大学院国際協力研究科
木村 幹

1. 研究の背景
 「途上国政治研究」の三つの大きな関心事 − ナショナリズム・国家形成(と経済発展)・民主化
→ 何故、これらが重要な争点として、多くの国に共通するものとして現れるのか
ここにおける仮説的理論構成
(1) Nation Building
 ↓Nationが保有すべきものとしての(主権)State
(2) State Formation
↓Nationの保有物としてのStateをどのように運用するか
(3) Democratization
→ (1)と(3)を架橋するものとしての(2)の重要性
そして、この国家形成において、
(a) 行政機構の拡大 − 植民地国家と開発国家(*既に別稿にて議論済み)
(b) 「政府」の形成 − 旧植民地諸国の共通問題
(c) 「政体」の確定 − 主導者・勢力の確定
(d) 持続的正統性の獲得 − 正統性獲得過程の制度化(政党等)、システムの安定
→ そしてこのシステムが「民主主義」の観点からその「正統性」の再チェックを受ける

2. 問題設定
韓国におけるこの過程での問題
 このような過程において、所謂「権威主義的国家」ができあがること
注目すべきは、
 このような(一見)強力な国家像は、日本統治以前の「ソフトな」朝鮮王朝の国家と異なる、こと
→ Q.このような「強力な」国家は何故に可能となったのか
勿論、この点については、これまでも研究が存在
 「過大成長国家論(崔章集)」、「官僚的国家論」、金融制度研究、住民登録制度研究、等々
→ しかし、これらの研究は、今日までその「制度」に関する分析に集中
そもそも、
 前近代の朝鮮の「ソフトな」国家 − 中央が在地社会に対して統制力を喪失したことによる
→ Q.独立後の韓国における在地勢力はどのような状態にあり、どのようにして統合されていったか
以下、このような問題関心から検討を試みる

3. 分析手順
(1) 独立〜第一共和国期までの各々の国家形成の過程と、そこにおける在地社会の関りを明らかにする
(2)  この時期における在地社会の特質を、前近代のそれと比較検討し、「権威主義体制」の成立への説明を試みる
(3)  このようにして成立した「権威主義体制」のその後の展開の内在的説明を試みる

Cf.行政機構の拡大
 日本統治下の統治システム − 35年間の植民地統治の中で熟成され、「総力戦体制」の中で完成される
加えての、
 日本敗戦後の官民双方の「敵産」接収 − 70%を越えると言われる膨大な資産の保有者として、戦後の「国家」は登場

4.「どの政府か」 − 人民委員会の成立と崩壊
 1945年における「突然の解放」 − 日本支配の正統性崩壊と、代替的行政機関の必要
→ 全国各地における「人民委員会」+「治安隊」の登場
"Revolutionary Nationalism"の噴出(?) − 実際には「極端な親日派」を除いた在地有力者の連合体
しかし、
 このような「自治的組織」は、ソウルにおいて、「朝鮮人民共和国」(←総督府依頼)、「米軍政府」、「大韓民国臨時政府」(三一運動後の「亡命政府」)が分立するようになると、分裂を開始
→ 最終的には、各地域の人民委員会は、米軍政府に接収される
ここにおいて興味深いのは、
 a.在地有力者たちの「受動性」と各々の地域における「核となる人物」の欠如
 b.人民委員会間の「横の連絡の欠如」 − 特に「左翼的」委員会において顕著
→ 最終的に彼ら在地有力者の多くは「独立促成国民会」に集約される(米軍政府の後を受けての「即時」独立)

5.「どの政体か(誰が統治者か)」 − 国会の挑戦と失敗
 1948年の独立 − 当初の憲法が予定していたのは、国会に比重を置く「議員内閣制」的大統領制
→ しかし、大統領に就任した李承晩は、このような憲法の既定を無視して「大統領中心制」的に行動
→ 国会と大統領の対決
周知のように、この結果としての、「李承晩独裁体制」の成立
− 何故に、憲法的基盤を持ちながら国会は敗れたか
ここにおいて繰り返されたパターン
 選挙における「大統領支持派」の勝利 → 国会内での「(財閥に支援された)野党」の巻き返し・多数派形成
→ 選挙での「野党」の惨敗
このような循環を可能にしたのは、
 各々の国会議員の「再選率」の低さ − 確固たる地盤を持たない国会議員
→ 簡単に政府によってその支持基盤が切り崩されてしまう

5.「政府党」の成立
朝鮮戦争の効果 
(1) 野党系財閥への打撃 → 金融を支配する国家による金融的締めつけ → 財閥「解体」
→ 前述の「循環」の終了と、野党の変質
(2) 「自由党」の成立と在地勢力の参加
これらの結果としての、
「与村野都」体制の成立 − 在地勢力を屈伏させ、組織化した結果としての与党の強力な農村支配
Cf. 1952.5.地方議会選挙
市 − 114 vs 7 vs 172
邑 − 274 vs 7 vs 430
面 − 4056 vs 21 vs 6867
1956.8.地方議会選挙
市 − 157 vs 54 vs 177
邑 − 510 vs 57 vs 391
面 − 10823 vs 231 vs 4284
ソウル − 1 vs 40 vs 6

6.変わったものと変わらないもの
 最終的な帰結としての、政府とほぼ一体の「政府党」による、ほとんど完璧な地方支配の完成
→ 政府に対する極端なまでの「在地社会」の弱体性
この原因は何か
(1)個々の在地「有力者」の無力
・ Patron-Client的地主小作関係の不在 − 伝統との連続性
・ 日本統治下の名望家取り込み − 正統性の欠如
・ 社会主義イデオロギーの脅威と解放期の警察依存
・ 農地改革 
・ 朝鮮戦争における「逃亡」
(2) 在地有力者間の「紐帯」の欠如 − 伝統との相違点
伝統的な朝鮮社会 − 個々の在地有力者がさほど大きな力を持たない反面、
一度「反政府的」運動が巻き起こると、それはたちまちの内に、極めて広範囲な運動となる
例・「民乱」、「甲午農民戦争」、「義兵運動」、「三一運動」
これに対して、
この時期においては、各地方の有力者たちは、巨大化した国家の前に、孤立して対峙する形で存在している
このような状況をもたらしたものとしての、在地有力者たちの「ネットワーク」の崩壊
 前近代の朝鮮在地社会ネットワーク − 書院/学校を核にするソウルへと繋がる「上昇のためのネットワーク」
しかし、日本統治時代においては、地方のエリートたちは、
 在地社会とほとんど関連を持たず、早期に東京他に留学し、そこで人脈を形成している
→ 在地社会との分離
結果としての、
 "the Politics of the Vortex"の出現

7.「民主化」へ向けて
 以上のようにして成立した圧倒的な「政府党」
− 1960〜1961の幕間劇をはさんで、そのまま朴正煕の民主共和党へと受け継がれる
ここにおいて、「民主化」が行われるためには、
 野党には地方から得票をするための何らかの「方法」が必要
ここでの最大のネックは、
「新生党」型の地方に基盤を持つ有力者の引き抜き/移籍による政権交代は不可能、なこと
→ 組織を有さず、利益誘導をも行わずして、「地方」から得票を行なうためにはどのようにすればよいか
→ 「感情に訴える論理」としての「地域感情」の登場 − 具体的には、全羅道の「与村」からの脱落
その意味で、1971年大統領選挙における金大中の善戦は画期的
→ 以後、与党は本当の意味での「選挙」による政権維持が不可能になってしまう
→ 「与村野都」から「与小野大」へ → 「維新体制」登場による「権威主義的国家」の「権威主義国家」化



資料
 「面長派」と「副面長派」の対立(全羅北道和順郡同福面)
・ 面役場 − 面長辞任 1945.8.15. → 被焼討 1945.10.
    ↓
   人民委員会 →    保安隊    
  (委員長・前副面長、地主)  (隊長・委員長親族)

   米軍進駐 1945.9.7. → 近郊炭鉱の完全掌握
↓                    ↓
   副面長辞任 1946.1.24. → 「副面長派」の失脚 1946.10.
    ↓
前面長親族新面長就任(元面長) 1946.3.18. − 「面長派」の復帰


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