2002.5.25.「日本植民地研究会」月例会用レジュメ(於・立教大学)

高宗から見た韓国併合
− 韓国近代史に位置づける −

神戸大学大学院国際協力研究科 助教授
木村 幹

問題提起
 今日にまでの「韓国併合」研究 - 特定の視点に集中
1)日本の「侵略」が如何に行われたか
2)韓国側の「抵抗」が如何に行われたか
3)その過程をどのように「評価」するか
欠点
1)「政策決定過程」分析」の欠如
2)「抵抗」の効果に対する分析の欠如
3)「評価」の特定方向への集中
しかしながら最大の問題は、
 韓国史における「併合」の位置付けの欠如
また、韓国史側の問題としての、
1)システムの中心としての国王/皇帝に対する分析欠如
2)韓国近代史における「見落とされたポイント」としての政治構造の変化
 1860年代以前 − 極端な王権の失墜と戚族の跳梁
 1900年代  − 皇帝主導の政治体制の実現
→ これらは「併合」に至るまでの過程と如何なる関係があるか?

1. 朝鮮王朝における国王
○理念としての朝鮮王朝 − 皇帝から「王家」に分与された地上の支配権
「王家の当主」が「国王」になるのであって、その逆ではない
→ 「国王」選任段階における臣下の介入不可能
逆に言えば、
 「国王」の就任が、臣下の支持なしに行われることがある
→ 「臣下」から浮き上がった国王の存在
○19世紀における全州李氏「宗家」の系譜的衰退
→ 哲宗、高宗の2代続いた「養子」
→ 「宗家」引いては全州李氏内部におけるリーダーシップの欠如
→ 国王のリーダーシップの後退
→ 朝鮮王朝そのものにおけるリーダーシップの喪失

2.高宗から見たリーダーシップの理論的可能性
○最初から氏族的サポートを欠いた高宗の入養
高宗にとっての、あり得べきサポートの理論的可能性
1)実父である大院君からのサポート CF.朝鮮社会における養家と実家
→ 高宗の成長と自立と共に、大院君と高宗は対立関係に(「癸酉政変」)
→ 単に大院君個人から切り離されるだけでなく、実家そのものと対立
2)配偶者である閔妃実家(驪興閔氏)からのサポート
→ 「癸酉政変」以後、高宗はこちらに徐々にシフトしてゆくこととに
3)理論上の「養母」である趙大王大妃実家(豊壌趙氏)のサポート
4)独自の「側近」の養成
→ 自らの身辺安定の為の武官を中心とする養成

3.「戚族政治」への正常な移行と「政変」の影響
○壬午軍乱
1)大院君派の決定的対立と同派の決定的衰退 − 理論的可能性の消滅
2)側近と驪興閔氏の一時的後退
○甲申政変
1)一部有力氏族の勢力後退(氏族的エリートとしての急進開化派)
2)豊壌趙氏の物理的壊滅
3)驪興閔氏の政治的突出
→ 高宗=閔氏勢道政権へ

4.日本の介入による政治的安定の喪失と高宗の物理的孤立
○ソウル占領
1)日本軍による「驪興閔氏」排斥
→ 高宗=勢道政権の崩壊
→ 高宗=閔妃の政治的孤立状況の再現
2) 制度改革による官僚の人事的断絶
→ 「老臣」達の政治的後退
○大院君と朴泳孝の失敗
1)自らの生命的脅威を齎す「政敵」と高宗=閔妃の和解の失敗
○乙未事件(閔妃暗殺)
1)最低限の安定を齎していた「穏健開化派」の壊滅
2)高宗と「驪興閔氏」の政治的紐帯の漸次的崩壊
→ 氏族的紐帯全ての喪失
3)高宗の物理的孤立と自らの安全への不安の増大 CF.近衛兵への関心

5.「露館播遷」という名の絶対主義化
○「露館播遷」
1)前提条件としての、高宗の物理的孤立
2)結果としての、身辺に対する絶対的安全の獲得
○「還宮」へ向けての政治的ゲーム
1)タイミングを巡る高宗の絶対的イニシアティブ − 孤立のメリット
→ 「老臣」達の政治的影響力の消滅
2)要求内容としての自らの絶対的安全(軍権掌握)
→ 「還宮」=「大韓帝国」成立への道

むすびにかえて −王朝の構造変動
韓国近代史における度々の「政変」と列強の介入
→ 元来、極めて孤立した存在であった高宗から、彼と連携可能な諸勢力を奪い去り、決定的な孤立へと導く
しかしながら、
日露戦争以前の段階では、表立っては「朝鮮の保護」を掲げざるを得ない諸列強は、高宗自身を排除することはできず
→ 結果として、高宗の絶対的孤立は、社会から浮き上がりつつも、絶対的な高宗の政治的優越を齎すことになる
その結果
1)併合最終局面における高宗と日本の直接的対峙
2)併合による朝鮮王家の権威失墜の結果としての、旧王朝支配勢力の全面的な政治的後退
→ 「併合」以後における全く異なる政治的ゲームの出現

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