「朝鮮半島フォーラム」2000年3月例会用レジュメ            2000.3.11.

韓国における権威主義体制と「与村野都」の成立

  1945年〜1955年期韓国政治史の再構成 −

神戸大学大学院国際協力研究科 

木村 幹

1.   問題設定

一九八七年の民政移管まで続いた韓国の「権威主義体制」

 → その構造は基本的に、「政府党」的な与党と、「正統保守野党」の間の、1ケ1/2政党制的体制と、そこにおける与党の肯定的な優位であると、見ることができる

 → それでは、このような構造は、「どのようにして」、「何故」できたのか

以下、まず、その形成過程について歴史的に分析し、次にその成立の理由に

2.   分析視角

(1)巨視的な視角としての「近代化」、「国家形成」

(2)「認識」の重要性

(3)「中央」と「地方」

Cf.義兵運動 − 地方での「抵抗」運動

   三一運動 − ソウルでの「抵抗」の地方への急速な拡散

3.   歴史的分析 − 45年〜55年政治史像の再整理

A.1945.8.〜1945.9. − 23日間の「政治的空白」

    中央

1)   建国準備委員会の結成と「朝鮮国軍準備隊」「朝鮮建設治安本部」

2)   非アクティブな、「右翼」勢力 − 東亜日報グループ

    地方

1)   総督府支配組織の急速な解体

2)   各地における自治委員会・治安隊の結成とその実態

 → ここにおける、中央と地方のズレ − 「偏向した」中央と、「網羅的な」地方

背景・民族独立運動における「左右対立」 − 一部知識人レベルに留まる

  B.1945.9.〜1945.11. − 「3つの政府」の並立状況

    中央

1)   米軍政府の登場 − DemilitarizationとDemocratization

優先順位と相互関係

2)   朝鮮人民共和国との対立 − 政党か国家か

人民委員会の組織化の試み

3)   「大韓民国臨時政府」の帰国 − 個人か国家か、

大韓独立促成中央協議会、と大韓民国臨時政府工作隊(200余名)

    地方

1)   人民委員会の否定と治安隊の解散

2)   警察の再編と、地方勢力の「分裂」、「親日」勢力の復帰

3)   「人共」の戦術変化 − 民主青年同盟と労働組合の結成

 → 中央における「3つの政府」の闘争の地方への波及

  C.1945.11.〜1946.10.

    中央

1)   信託統治反対運動 − 「臨政」の挑戦

警察署接収運動の意味と、申翼煕の「現実論」化

2)   大韓独立促成国民会の結成 − 「右翼」勢力の登場

大韓独立促成中央協議会と反託国民総動員中央委員会の合同

3)   「10月抗争」 − 「人共」勢力の挑戦

美軍政・右翼青年団勢力の連合の成立

    地方

1)   「政治工作隊」勢力の「国民会」への吸収

2)   地方における左右対立状況の出現

3)   労働運動の挫折の結果

  D.1946.11.〜1948.8.

    中央

1)   朝鮮過渡議会選挙と南朝鮮単独政府派のヘゲモニー確立

2)   金奎植の巻き返し工作と、米軍政のレイムダック化

3)   制憲議会選挙の結果と、金九・金奎植・呂運亨・安在鴻

    地方

1)   「大韓独立促成」勢力のヘゲモニー確立 − ゆるやかな連合

「国民会」と「青年総連盟」

  E.1948.8.〜1952.

    中央

1)   「単政派」の分裂と、「大韓独立促成」勢力の崩壊

2)   立法・行政府対立と、「野党」民主国民党の形成と敗北

3)   朝鮮戦争と「国内派資本」の苦境

4)   「一民主義」の限界と、自由党の形成

    地方

1)   農地改革と「地主政党」の挫折

2)   地方有力者の自由党への取り込み

3)   地方選挙の形骸化

Cf.1952.5.10.地方議会選挙(自由党 vs 民主党 vs 無所属)

市 − 114 vs 7 vs 172

邑 − 274 vs 7 vs 430

面 − 4056 vs 21 vs 6867

  F.1952.〜1955.

    中央

1)   青年団勢力の解体と「組織者」達の追放

2)   自由党の「官僚政党」化

3)   民主党の成立と野党の変質 − 「追放された組織者」達の政党として

    地方

1)   利益配分システムの確立

2)   政治的な不活発化

3)   「与村野都」の成立

Cf.1956.8.地方議会選挙(自由党 vs 民主党 vs 無所属

市 − 157 vs 54 vs 177

邑 − 510 vs 57 vs 391

面 − 10823 vs 231 vs 4284

ソウル  − 1 vs 40 vs 6

4.   考察

. 第一共和国の権威主義体制は「何」であったか

それは、「地方」における圧倒的な優位を基盤とする与党に、対して、辛うじて都市を確保する野党が対立する体制である

   B. それは「どのようにして」できたか

     日本敗戦後の政治的空白の期間に出来た地方諸政治勢力を、米軍政、更にはそれを引き継いだ、大韓民国支配勢力が、次第に統合してゆく形でできた

   C. そのような統合は何故に可能であったか

    その要因は次の3つである。

1)    総動員体制後の朝鮮総督府を受け継いだ、米軍政府・大韓民国の巨大な「経済的」「物理的」力

2)    中央において、「与党」に対抗すべき、「野党」における、統合の為の「資源」の欠如

 ex.支配の正統性、独自の経済的(特に金融的)基盤、選挙区への地盤 − 韓国地主の特質

3)    地方における統合性と、相互ネットワークの欠如

→ 日本統治期における、在地有力者の「去勢」と、ネットワークの分断(「学会」、「学校」)

5.   展望

A.50年代「権威主義体制」の限界 − 地方を「去勢」することによる、地方の分断・非アクティブ化

 → 野党の得票を阻むことはできても、社会を統合し、積極的に支持を集めることはできない

 → 農村の組織化の必要(セマウル運動へ)

B.野党の限界 − 政権獲得の為に「いかにして」、「地方において機能する」、自らの得票メカニズムや論理を、打ちたてることが出来るか → 地域感情への依存と、政党の「割拠化」

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